あなたは幸せですか?
人は自分が見たり、聞いたり、体験したりしたことからしか、他人の不幸具合が理解できないものである。
なにもない状態から、何かを想像することなど出来はしない。
人の不幸を見たり、聞いたり、自分に不幸があった時に初めて不幸ではないことがどれだけ幸せなのかを実感するという具合なのだ。
ボクは昔、よくテレビを観ていた。
勧善懲悪の時代劇に始まって、ヒーローが必ず勝利するアニメや特撮ドラマ、最後は海外の警察物語や弁護士が活躍するドラマに夢中になっていた。
テレビに写しだされる画像に表示される物を欲しくなることもよくあった。
テレビはスポンサーがいて初めて成り立つものだから、コマーシャル以外のドラマの背景にも商品を並べることをして人の購買意欲を刺激してきた。
コマーシャルを延々と見せ続ければ誰かが、その商品を買うのだろう。
同様にドラマで映し出される部屋などに飾られたりしている物を見続けていれば、それを買いたくなる人も出てくるのだろう。
以前から何度となく書いてきているように、日本人テレビの影響をまともに受けて生きているから、テレビに映し出される物を手に入れたくなる確率が高い。
操られているのだ。
人が持っている物くらいは自分も手に入れたいと考えるのが、さも当たり前のようになってしまっている。
それがステータスだと考えてしまいがちなのである。
人並みという感覚が、散財に繋がっている。
なくてもよい物まで買い揃えるのが豊かな国に住む我々の常識であったのだ。
何時の頃からなのだろう、断捨離という言葉が流行りだしたのは?
最近ではミニマリストという言葉が流行っている。
風の時代に突入したから人の意識も変わったらしい。
それに気づかぬ人は、これからも土の時代の生き方を続けていくのだろうか?
我が家は決して裕福な家庭とはいえなかったから、昔から必要な物しか買わなかった。
足りない物があれば、他の物を代わりに使ったりして、その場を凌いできた。
貧乏人は工夫することで、その場をやり過ごす知恵を学べるのである。
貧乏な歴が長いから、ボクはきっとタフなのだろう。
「物があれば幸せ」という考え方は過去のものになるのだろう。
ボクが入院中に知り合った老人が、今は特別養護老人ホームに暮らしている。
前から目が悪かったが、数ヵ月前に両手両足が自分の意志では動かせなくなってしまったのだ。
家の父と同じように、一日中ベッドに寝かされていて、食事の時だけ身体を起こされて、食べた後はまたベッドで身体を横たえる生活を送っているのだろう。
お見舞いに来てくれる親しい人もいないらしい。
ただ余生を生きるだけの彼に会いに行かなくてはと考えているが、コロナ禍ゆえに行けないのである。
人の幸せってなんなんだろう。
恵まれた生活をしていても不満ばかり言う奴もいる。