過去との決別。
優しいと言われる浜松の人が、ボクから離れていったのには理由がある。
その最大の理由は、ボクが人に迷惑をかけないようにしようとしたからにある。
ボクが、人に悩みを打ち明けることをしてきたなら、相手もボクに心を開いてくれたのかもしれない。
ボクのことを心配して、話を聞こうとしてくれた人にさえ、ボクは心を開くことができなかったからだ。
それができなくなったのは、中学生の時にそれまで仲のよかった友だち?が、いきなりボクを避けるような態度を取り始めたことから始まったことも関係している。
学級新聞のことに対してボクは自分の意見を発言したが、そいつはそれに対してまっこうから全否定した。
なぜ、奴が態度を急に変えたのかというと、バスケットボール部の顧問から「マネージャーになれ」と言われたから退部して、バレーボール部に転部したけど、サーブ・レシーブ・トス・スパイクを全てこなし、バレーボール部の顧問から「一年生の時から入部していたらレギュラーになれた」と言わしめたくらい順応したのを見ていたバレーボール部員が気にいらないと感じたからなのだろう。
ボクの意見を全否定した奴もバレーボール部に所属していたから。
そのことがあってから、ボクはクラスのみんなから無視されるようになり、新たに入ったバレーボール部のサーブ練習の時には、みんながボクの頭を狙ってサーブを打つようになったのだ。
高校時代は別として、初めて就職した社会保険庁の部署を決めるために、合宿して試験を行った社会保険大学においても、自己紹介がてら女子たちに話しかけたことで、ボクは男子の反感を買うことになった。
そしてボクに対して怒りの感情を抱いている奴らが待ち構えている部屋に呼び出されて、散々文句を言われたのである。
ボクのしたことが理解されなかった悔しさから涙を流したが、そのことをバカにされたことにより、そいつらを許すことができなくなり、その時受けたダメージが嫌な思い出としてボクの心に残り、それがきっかけになりわずか3ヶ月で退庁して浜松へと帰省したのだ。
その時に父親から仕込まれた統合失調症の種が発芽してしまったらしく、ボクは帰省後は働く意思もなくなり、遊び暮らすようになってしまったのである。
公務員になれたことで、両親を喜ばせたが、わずか3ヶ月で辞めて帰ったから、期待を裏切ったという罪悪感から、東京での出来事を話すこともできず、いままで以上に人を信じることもできなくなった。
ボクのことを心配してくれる人たちにも、それまでの東京での出来事を話したことは一度もなかったのだ。
人には自分のための時間があると考えて、相手の大切な時間を自分のために使わせることをよしと考えなかったことが、逆に信用を生まなかったのだろう。
そして、人前に出たときにボクはできるだけ明るく振る舞うようにつとめているから、その姿を見た人は悩んでいるように思わないのかもしれない。
ボクは神経科の病院に入院していた時、まわりの人たちから怒りっぽい性格だと評されていた。
集団生活なのに、当たり前のことをやらない人たちが許せなかったからだが、彼らが普通の人だと考えていたボクに問題があったと、今になって反省している。
確かにみんなに迷惑をかけていた人もいたけど、わざとやっていた人ばかりではなく、それが迷惑をかけることになると考えられない人も確かにいたのだ。
そんな人には、看護士さんや作業療法士さんを通して、注意してもらうのが病院のルールであるが、その人の病状により、注意されても同じ過ちを繰り返す人もいるのである。
そんななかへと放り込まれて、行く先が決まらないから、なかなか退院できないでいたことでボクはイライラしていたのだろう。
二回目の入院時には、主治医から統合失調症だけではなく双極性障害というのもプラスされてしまった。
前に書いたように、天竜区のアパートにいた頃にやられたいじめにより睡眠時間が短くなったから、そのように診断されたのだと思わう。
病院を退院してからのことは、すでに何度も書いてきたから省略するが、いままで書いてきたような理由があったから、ボクから優しいと言われる浜松の人間が離れていったのである。
過去にこだわり続けているわけではないが、書いてきたようにボクは人の大切な時間を裂いてまで、自分に関わってもらうことに対し何故か罪悪感を感じてしまうのである。
だから自分のことを理解して欲しいけど、迷惑をかけてまでとは考えないのだ。
心の開き方を知らないだけかもしれない。
心から、人を信じることができないのかもしれない。
ボクを作り上げたのは、若い頃の悲しい出来事だったから、人を信用することや頼ることが苦手になってしまったのだろう。
たが、これからの人生でで会う人とはうまくやっていきたいと考えている。
これを読んでくれた人は、ボクの気持ちを理解してくれたと思うから、その人たちともうまくやっていきたいと思う。
過去と決別するために、この記事を書こうと決めた。
新たな気持ちで再出発するためにである。
前を向いて歩いていこう。