【エッセイ】後天的に相貌失認という脳の障害を発症した僕の体験記
僕は18歳の夏頃に体調を崩し、適応障害という病気になった。部屋に引きこもり毎日死にたいと思っていた。そんな僕も無事受験を終えて大学生になった。受験に関する経験談は別のエッセイに記してあるのでそちらを見てほしい。僕が大学に入学した春はコロナウイルスが流行り始め、世の中が平穏を失い始めた時期だった。入学式は延期となり、4月の間は授業がなかった。それが僕にとってはプラスに働いた。よく寝たおかげで精神状態はいくらかマシになっていた。5月になりオンライン授業が始まった。最終課題はテストからレポートに変更され、例年よりは随分楽だと噂されていた。サークル活動はなかなか解禁されなかった。秋頃になってようやく解禁され、僕はフットサルサークルに入会した。しかし、コロナ禍なので新歓コンパは禁止されており、マスクを着けてスポーツを行うことだけが認められていた。サークルの先輩や同期は優しい人が多く、一気飲み強制禁止の健全としたサークルだった。所謂キラキラキャンパスライフはもう目の前までせまっていた。
「はずだった。」
その頃僕は一つの違和感を感じていた。所属していたサークルは50人は軽く超える団体で、新歓期だったこともあり、日々練習に来るメンバーは異なっていた。ただ月日が経つにつれ僕の違和感は確信へと変わっていった。
「人の顔が全然覚えられない」
僕がいた中学校は全校生徒が170名ほどいたし、高校は360名ほどいた。それでも学年のほぼ全員の顔はなんとなく把握していたし、クラス替えがあっても数日経てば同じクラスの人の顔は覚えられていた。ところが、大学に入ってからはサークルの幹事長をはじめ、よく声をかけてくれる先輩、LINEを交換した同期、それら全ての人の顔が全然覚えられなかった。これはおかしいと思い、精神科の先生に相談した。脳に異常があるかもしれないと言われ、脳専門の病院でMRIなどの検査をしたが、異常はなかった。病院の先生は言った。
「もしかしたら適応障害の後遺症で脳に何らかの影響が出ているかもしれませんね。相貌失認(失顔症)という症状だと思われます。例えば、似たようなゴールデンレトリバーが数匹いるとして、それらを見分けるのは困難ですよね。そういう脳の障害です。治す薬はありません。おそらく軽度の症状なので、うまく付き合っていくしかないでしょう。」
「ふざけんな。」そう思った。もう病気とはおさらばできると思っていた僕にとってはあまりに酷な話だった。次の日から僕はサークルの人と話す時、とにかく細部まで集中して記憶するようにした。コロナウイルスのせいでマスクが必着の中、頼りになるのは髪型や身長、体型などの情報だった。声が一つの手掛かりになることもだんだん分かってきた。幸いなことに接する機会が多い人の顔は不思議と覚えられるようになっていた。「うまく付き合っていくしかないでしょう。」医師の言葉を心の中で反芻しながらなんとかその場をやり過ごす生活をしていた。
月日が経ち社会がコロナウイルスに順応し出し、新歓コンパも解禁されるようになった。ある日、午前中のフットサルの練習が終わり、暇な人たちが集まってファミレスに行くことになった。先輩と後輩が丁度よく混ざるように座り、親睦を深めるための会だった。僕が座った席は4人掛けの席で、向かいに女性の先輩が2人座り、もう1人は仲の良い同期が座った。女性の先輩は真子さんと未来さんという方だった。「私たちニコイチだからカコとミライで覚えてね。」そんな挨拶をしてもらったのを覚えている。僕は女性と話すのが得意なわけではないが、その日は話が弾んだ。1番興味深かった話は真子さんが毎日彼氏と連歌をしているというものだった。周りは真子さんを笑いものにしていたし、僕も皆んなに合わせて笑っていたと思う。でも心のどこかで素敵な人だなと思った。そんなこんなで時間が経ち、店員さんがやってきて「お皿お下げしてもよろしいでしょうか?」と聞いてきた。ふと目をやると僕が食べていたハンバーグのお皿にブロッコリーが一つ残っていた。「あ、すみません。」と僕は声に出し、急いでブロッコリーを口に入れた。「なんだ、ブロッコリー嫌いじゃないんだ。」真子さんが僕に向かって笑ってそう言ったのを覚えている。
それから少しだけ月日が経ち、ある日、僕は焼きそばパンを食べながら1人で大学構内を歩いていた。よく晴れた日だった。前から花柄のワンピースを着た女性が歩いてきて、僕に向かって「おー!」と声を上げた。それと同時に僕の頭は混乱した。その女性の顔が誰なのか判別できなかったのだ。「すみません、、急いでいるので。」そう言って僕はその場から走って逃げた。トイレの個室まで逃げ込むと額からは汗が吹き出した。タオルで何度も顔を拭い、暴走する鼓動を必死に抑え込んだ。食べかけの焼きそばパンはトイレに流してしまった。その後、授業を受けたのか、家に帰ったのか、よく覚えていない。ただ、あの日、僕は改めて相貌失認という障害を恨んだ。結局声をかけてくれた女性が誰なのか、今でもはっきりとしない。それでも、身長や服装、雰囲気からしておそらくあれは真子さんだったと思う。自分が過去に素敵だと思った人。マスクを着けていたとはいえ、その人の顔がわからなかったことは僕の大きなトラウマになった。そんな相貌失認で今も僕は苦しんでいる。
そんな僕を少しだけ救ってくれた人がいた。勝又という男だ。勝又は僕と同じ研究室に配属され、次第に親交を深めていった。というか僕が勝手に気に入っていた。勝又は緑のサングラスをつけ、柄シャツを着て、口髭を生やして大学に来る、トレードマークのオンパレードみたいなヤツだった。相貌失認の僕が大学構内で唯一自分から話しかけられる存在だった。食堂やバス停で勝又を見つけると嬉しかった。1人じゃない気がした。しかし、そんな勝又と僕にも危機的状況が訪れる。就活という名の画一化だ。ある日勝又は緑色のサングラスを外し、スーツを着て、口髭を剃って大学に来た。僕が悲しい表情をしたのかもしれない。それを察して勝又は呟いた。
「落ち込むな。この大学でスーツが1番似合わない男を見つけたら俺だと思え。」
僕は笑った。確かにスーツは似合ってなかった。