サイバーエージェント新卒 北尾の宣言
初めまして!サイバーエージェント、2020年新卒の北尾峻一です。
入社から一か月が経った今、改めて宣言をブログに書きたいと思います。
まずははじめに私がどのような人間なのか自己紹介をし、
そして宣言をしたいと思います。
1自己紹介
北尾 峻一(きたおしゅんいち)と申します。
立命館大学 経営学部卒業の22歳です。
「パッション」と呼ばれています。
(かなり自己紹介長いので注意です笑)
30代になってもこのニックネームなのを想像すると少し恐怖です。
要約としては
高校まで:父に憧れ経営者を夢見るが小中学生の時にいじめられる
高校時代:先輩やコーチのおかげで自分に肯定的になる
大学時代:日本大学のアメフト問題をきっかけに色々する
長いのが苦手な方は次に行ってもらっても大丈夫です笑
読んだるよと優しい方はお付き合いください。笑
バナナに特に深い意味はありません。笑
1.1 幼少期
父が経営者という家庭、幼稚園はかけっこ、跳び箱などで常に順位が並び順ででるような競争環境で育ちました。
そういうこともあり、幼少期からしたいことにたくさんチャレンジさせてもらえて(させられて、、?)きました。
僕としてはそれが楽しく、価値観の根底として好奇心が芽生えました。
(好奇心が出すぎてスーパーに入ったらスタートダッシュを切り、親元を離れ、そこら中の食事をバイキングかのように食べてました。)
(好奇心が出すぎて自宅の観葉植物の皮も食べてました。)
(もちろんお腹こわしました☆)
(母親をはじめ、たくさんの方にご迷惑をおかけしました。)
できることが増えたり、幼稚園で上位をとる度に褒められることで、
人に良く思われたいという価値観もできました。
そしてこの頃から将来の夢は経営者と言う、
いわゆる意識高い系幼稚園生でした。
(この頃は経営者=カッコいい人間という認識でした。)
1.2 小中学生
そんなわんぱく坊やは地元の小学校ではいじめられました。
何をしても状況は変わらない、友達はいない、いじめられている、
人に良く思われたい自分としてはしんどい期間でした。
そんな自分を否定したくて中学受験をして地元の中学ではなく、
私学の中学校に進学しました。
が、ここでやらかしました。
中学生デビューです。
「おれは地元の小学校では番長やったで」
「めちゃくちゃヤンキーしてた」
読書が趣味ですごく真面目でしたし、番長どころか友達もいないのに、
大嘘つきまくりました。
この中学生デビューはうまくいかず、中学でも浮き、
友達もあまりいませんでした。
ヤンキーぶってたせいで、勉強もせず
勉強もできない、スポーツもできない、性格もよくない、友達も少ない。
幼稚園から夢見ていた経営者(カッコいい人間)とは程遠い状態でした。
私の父は20歳で経営者になっていました。
僕は本当になれるのかなとおもっていた、中学3年生の2012年。
あるニュースが飛び込んできました。
本田圭佑選手がサッカースクールを経営。
本田、サッカー教室で子どもたちに熱いエール「夢を決して諦めないで」
すごく痺れました。
本田選手みたいに
スポーツしかしていなくても、
学力がすごく高くなくても、
挫折があったとしても、
経営者になれるんだ。
僕も変われる。
最後のチャレンジをしよう。
1.3 高校時代
本田選手をみて当時の私は経営者になるにあたって必要な要素は以下の2点だと考えました。
❶人間性
❷日本代表という肩書
それが一番得られる可能性が高いと感じたのが
アメリカンフットボール部でした。
私:ガリガリ&チビ&未経験&ビビり
周り:ムキムキ&デカい&経験者&戦車
そんな環境の中最後のチャレンジとして挑戦したアメフトでしたが、
高いモチベーションに対して、いつもぶっ飛ばされる。
全然うまくならない。
小学校でもうまくいかず、
中学校でも変わろうとしてうまくいかず、
最後のチャレンジと意気込んだ高校でもうまくいかない。
帰りのバスの中でずっと泣いていた。
そんな時に先輩に言われた一言に心を救われた。
私自身を肯定してもらえた気がした。
この頑張りは間違いじゃないんだ。
努力の仕方を変えればいいんだ。
そこから努力の仕方が変わり、
部活でも勉強でも友人関係でもうまくいきだした。
そして部活のHCは私の夢を応援してくれる方だった。
この高校三年間を通して、最高の仲間とも出会え、
そして人の価値観や背景を尊重すること、
人の在りたい姿を尊重することの大切さを学んだ。
1.4 大学時代
大学1年の6月には無事19歳以下日本代表にも選出され、
中国で行われた世界大会では全試合スターティングメンバーとして出場し、
日本は第四位の成績を収めた。
一番下です
モチベーションが高い状態で帰国して一週間後に肉離れ。
その後半年で同じ個所を5回の肉離れ。
お医者さんには半年の休養と、半年のリハビリが必要だと言われた。
経営者になるためにアメフトを始めた自分にはこの一年半がすごく長く感じた。
そして高校生のコーチという選択肢に思い立った。
その時点でコーチが一番チームに還元できるポジションであり、
組織のマネジメントや、リクルーティング、戦略を立てるなど経営者に必要なことを実践できると考えたことももちろんあるがそれ以上に、
自分が高校生の時にしてもらったように、
この部活動という場で凸凹な自分自身に自信を持ってもらいたい、
そんな彼らを肯定して尊重して、ありのままで成長してもらいたい。
こんな思いが一番強かったです。
コーチもできてきてチームとしても成績を残したり、
選手も成長したり順調に進んでいました。
そこで起こったのが2018年5月6日にあった、日大タックル問題です。
私が部活は教育を超える、人の人生が変わると信じて取り組んでいた、
スポーツ指導の現場で指導者が選手の人生をめちゃくちゃにしていた。
しかも日大の選手も関学の選手も知り合いである。
特に日大の選手は日本代表で共にプレーし、代表の中でも特に仲のいいすごく良いやつでした。
私は自分の友人も守れない弱い人間だと感じました。
日本中の人に対して大きなインパクトで幸せにできる人間になりたいと思いました。
だからこそコーチと二軸で事業を始めることにしました。
家業のリソースを使ったマリーナとユーザーのマッチング事業
どんなに良いサービスでもPRが弱かったら続かないということを気づき、
以下2つのスキルを身に付けました。
❶映像制作
❷Twitterを戦略的にバズらせる
(ここは気になる人が多かったらまた書かせていただきます。)
リアルイベントよりも拡散性のあるアプリ開発
Twitterでいいね来た数だけ開発するということをして
10日間で13個アプリを開発しました。ほぼ寝てないです。笑
こういったことをしていく中で気づいたのは
そのためには人と向き合うこと、
そして適切な機会を提供することが必要。
自分ひとりの無力さも感じた。
だからこそそんな文化があり、
社会的インパクトも大きく早期でマネジメント職にも就くことが可能な会社を探した。
それが弊社、サイバーエージェントだった。
2宣言
現在私はサイバーエージェントのインターネット広告事業本部の
大阪支社でSEM運用コンサルタントをしております。
(SEMとは?)
私は【人の自己実現に寄り添える人間】で在りたい。
そのためには人と向き合うこと、
そして適切な機会を提供することが必要だと思っている。
だからこそそんな機会を提供できるリーダーになりたい。
組織の規模が大きくなればそれだけ提供できる機会も大きくなる。
だからこそ組織を伸ばせれるリーダーになりたい。
早期にリーダーになるために新人賞を獲らなければならない。
私はサイバーエージェントの文化が大好きである。
この人に本気で向き合ってくれる文化が大好きである。
この文化を体現して成果を出し、頑張りたいと思っている人がサイバーエージェントに入ってくれて幸せになってもらいたい。
そんなCAの顔になるためも新人賞を獲らなければならない。
そのためにまずプレイヤーとして1年目突き抜ける必要があります。
これから全力で走り抜きます。
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