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nakanoemi3
「信じる」ということ #001
「信じる」とは、自分のなかに独立して存在する気持ちであり、相手の気持ちや行動に左右されないものである、と僕は思うのです。
言い換えれば、相手の言動で揺るぐのであれば、それは「信じる」ではないと僕は思っています。「信じる」は、自分の心の中でその形を変えながらも永遠に続くものと信じたいのです。
例えば、相手に嫌なことをされたとき、どのように思うでしょうか。なんでそんなことするの?失望した。裏切られた。そんな風に思うかもしれません。嫌な目にあっているのですから、そう思っても仕方ないと思います。でも、僕は、常にそう思うしかないなら救いがないと思ってしまうのです。
嫌なことをされたときに、相手にはその行為をする理由がきっとあったはずだと思えればどうでしょう。相手に怒りや憎しみを覚えることがなくなるかもしれません。失望することも裏切られたと思うこともなくなるでしょう。僕は、そんな心を「信じる」と思いたいのです。
そう思えれば、「信じる」は、相手の言動によって変わることのないものとなり、ひいては自分にも温かみをもたらしてくれるものとなり得るように思います。
世の中の全員に対してそう思えるようになる、と思うほど僕は善人ではありません。でも、たったひとりにでもそう思えれば救いになると思うのです。
数年前のある夜、ふとこんなに思ったのですが、言うは易しですし、偽善では?という疑問も浮かんでは消えでした。うまく説明出来ませんが、そう思おうと無理をしていたときには全くできないように思えました。しかし、無理になろうとしなくなってから少しすつ近い気持ちが芽生え始めているように思います。
「信じる」道にゴールも正解もありません。これからも自分なりの「信じる」を求めていきたいと思います。