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ゼレンスキーおまえもか?!〜オリンピズムのリトマス試験紙〜

「綺麗事にすぎない」小生のオリンピズムに対して時折投げかけられる言葉である。確かに「スポーツで世界を平和にする」などというのは夢見心地の独白に過ぎないかも知れない。しかし、逆に「世界平和を目指すのならば」という仮定法を使えば、その主節の主語にスポート(Sport: Sportsの単数形)という概念を持ってくるのは非常に現実的だろう。なぜかは1894年6月23日にクーベルタン男爵が中心となって世界大戦勃発の危機的趨勢に古代オリンピアの休戦思想を復活させようと国際オリンピック委員会(IOC)を設立したその時からの歩みを見れば反証される。「綺麗事」であり続けたこと自身がこの夢が捨てられていない証であり、国際紛争の解決手段に武器を選ばない方法としてオリンピズムは主張され続ける意味があるからだ。

ウクライナのゼレンスキー大統領もオリンピズムは綺麗事に過ぎないと思っていることが判明した。今月27日(2023年1月27日)、ビデオ演説で「今日、私たちは国際的な五輪組織の運営から偽善を一掃し、テロ国家の代表を世界のスポーツに引き入れようとする試みを阻止するため、正々堂々と戦うためのマラソン(長期的活動)を開始する。ロシア選手の中立旗が血で汚されることは明らかだ。五輪の原則と戦争は基本的に相反するものだ」(ロイター伝)とした。

国際的な五輪組織とは明らかにIOCのことであり、二日前にIOCが発表した声明に対する反論であった。IOCは声明でロシアのウクライナ侵攻に対する制裁を続け、ロシアとベラルーシの政府に対する一方で、同諸国の選手たちの五輪参加への道筋をつける方策を示した。

昨年2月24日にロシアがウクライナに侵攻し、オリンピック休戦を破った時、IOCは即座に声明を発表し、ロシアとそれを支援するベラルーシへの制裁を発表した。政治には一線を画することは政治からのスポートへの圧力を排除することがその主眼であるが、さすがに五輪精神の魂であるオリンピック休戦を堂々と打ち破ったロシアを不問に付することはできなかった。IOCが主張し続けた政治的「中立」を守るならば、ロシアの侵攻も静観するべきではないか?ロシアの選手の参加については保証すべきではないか?という疑問があり、私はIOCに直接レターで質問した。その時に返ってきたのが「オリンピック休戦」の重大さ故の決断であった。

IOCの苦悩は戦争を起こしたのが選手ではないにも拘らず、戦争を起こした国の選手を制裁対象にせざるを得ないかどうかのオリンピズムの根幹に関わる問題に結論を出さなければならないことだ。なぜなら「選手」はオリンピックが世界平和構築の礎となる仕掛けの重要なコンポーネントであるからだ。それはオリンピックにおける競争は個と個の闘いであって、国と国の争いでないことである。かつその名誉は格個に与えられ、国には与えられないことである。この定義によって選手は国家を超え、民族を超え、宗教をこえ、性別を超え、肌の色を超え、様々な差別を超えて、共に繋がることができるのである。

ロシアとベラルーシの政府とその政府を支援する人々に対しては断固「制裁」を挙行することができるが、しかし、戦争に反対しロシア政権とは志を異にし、オリンピズムに忠誠を尽くそうとする選手、ただひたすら自らのスポーツを愛し、そのスポーツの頂点を目指す中で、同じ志を持つ選手と競い合いたいと思っているその人が唯々ロシアのパスポートを持っていると言うだけで、その道へのアクセスを閉じることはできない。それがオリンピズムからの筋論となる。

私は昨年四月にバッハ会長に手紙を書いた。(これについては以前スポーツ思考でも若干触れた)五輪憲章改正の具体的提案であった。戦争を起こした国の国内オリンピック委員会(NOC)の資格停止条項、かつ選手救済のための選手参加資格コード(eligibility code)の復活とその項目の一つに戦争反対意思表明を明記することの二点だった。

それによってたとえ戦争を起こしオリンピック休戦を破った国の選手であってもオリンピックへの道が開かれ、彼らの世界平和構築への貢献に繋がる道を開くことができる。

IOCからの返事は十月に来た。その時点では私の意見には共鳴するものの憲章改正を挙行すると当該国選手の安全が保証できない。参加選手表明をした選手に危険が及ぶ可能性がある。選手を守るために私たちはジレンマを抱えていると悩みを打ち明けてきた。密かに憲章改正の可能性を探っていることが行間から見えた。

そしてこの25日(2023年1月25日)にIOCが声明を出した。その声明には私の提案が吸収されていた。憲章改正というアクションにはならなかったが、ロシアとベラルーシの政府への厳しい態度を変えることはないものの、当該国の選手がその国の代表として参加するのではなく、個人として五輪旗の下で参加する道を残すと言うものだった。ただし、その選手の行動規範には厳しい目が向けられる。Eligibility Codeが復活する。IOCの平和使命に反する選手は参加資格を得ることはない。「中立な選手」でなければならない。参加資格を得たとしてもそれはロシアやベラルーシの代表ではない。

ロシアの選手の中にはプーチンを支援して積極的にウクラナイ戦争に賛成する輩もいるが、沈黙の大多数はスポーツを愛し、そのスポーツのために命をかけている選手たちであろうとオリンピズムは思考する。これらの選手の力が逆説的に戦争終結に必要なことはプーチンもゼンレンスキーも分かるはずだが。

「正義」のゼレンスキーも今回のIOCの声明に猛烈な反対表明をして、化けの皮が剥がれた。彼は世界を平和にするためにウクライナ戦争を戦い続けているのではなく、自己を守るために行っているのである。それは国家責任主体として当然な行為かもしれないが、その結果、人々が苦しみ嘆いているのだ。「正義」という命題で戦争を裁くことはできない。そのことは敗戦国ニッポンの我々が周知すべき現実である。

戦禍で苦悩するウクライナの選手たちを助けるためにIOCは戦争勃発直後にウクライナ選手救援基金を設け、彼らがパリ五輪、ミラノ・コルチナ冬季五輪への参加を支援する体制を整えた。各国NOCならびに各国際競技連盟(IF)に対して彼らのトレーニング支援を要請している。そしてバッハ会長は昨年7月にキエフを訪問し、現地で選手たちを激励し、ゼレンスキー大統領と会談している。

翻ってロシアやベラルーシにも同様にオリンピックに夢を抱く若人がいる。彼らにオリンピックの平和使命の認識があるならば、彼らを救わない手はないだろう。アジアオリンピック評議会(OCA)は地理的優位性を発動し、ロシア選手のパリ五輪予選の門戸を開こうと動いている。これはこれで別の問題に繋がるが、これについては機会を改めてスポーツ思考したい。

ゼレンスキーは「激しい戦火にさらされるウクライナ東部バフムトにバッハ会長を招待するとツイッターに投稿し、「中立というものが存在しないことを自らの目で見ることができるだろう」と呟いたそうだ。

中立が存在しなければ世界平和など夢のまた夢だ。軍事がスポーツに優ると信じている限り、この戦争の終わりは見えない。

オリンピズムのリトマス試験紙は政治の魂胆を明示してみせる。ゼレンスキーの心根がプーチンと同じものであったことが明らかになった。残念ながらオリンピズムから裁けば、ゼレスキーもプーチンと同じ穴の狢であった。ウクライナ青少年スポーツ大臣はロシアやベラルーシの選手がパリ五輪参加を阻止すべしとした。もし参加するならウクライナはボイコットも辞さないと訴えた。つまり政府が選手のパリ五輪参加、不参加の自由を支配するということだ。ロシアのNOC会長がIOCを批判して、「ロシア選手が出場できない五輪ならば別の大会を作る」というのと変わりがない。

オリンピズムを理解していない人間がかくもオリンピックに関わっているという現実が浮き彫りにされた。

ウクライナのスポーツ大臣はウクライナNOCの会長でもある。オリンピズムを理解しない人がトップに君臨するのはウクライナもロシアも同じらしい。オリンピック休戦は古代オリンピア祭の肝も肝である。都市国家間の戦争をその時だけ停止して武器を置いて身体限界に挑む。紀元前431年から27年続いたペロポネソス戦争の時もオリンピア祭は四年に一度開催された。2024年パリ五輪にはロシアもウクライナも武器を置いて選手を讃えなければならない。

「正義」の人、ゼレンスキーおまえもか?!
平和にチャンスを与えてくれ!
 
(敬称略)

2023年1月29日

明日香 羊

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編集好奇
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1月25日に出したIOCの声明について論じようと思っていた矢先、ゼレンスキーがその声明に噛み付いた。そのゼレンスキーに私も噛みつかざるを得なかった。彼がプーチンと同じレベルであればウクライナ戦争に明かりはない。バッハは果たしてどう動くか?墨子の動きが必要だ。

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春日良一
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