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母が鬱だった頃の記憶

ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」を読んでいる。
息子さんの友人の母が鬱病になっている下りがあって、ふと自分の経験を思い出した。
実母が鬱と診断されて、ずっと布団で寝ていたあの期間。ある意味で家族も必死で、今まで振り返ってもこなかった。
過去を振り返っても仕方がないのは承知だが、言葉にも何にもしていないとは。
本当にnoteだ。記して残しておきたくなった。

もう歳月はあやふやだ。
でも、私は車が運転できた。母の通院に付き添っていた記憶があるから。
大学生くらいだろうか。それとも社会人だったのか、まったく記憶って曖昧だ。
当人の母に聞けばばっちりいつ頃か答えられそうだが、なんとなくもう聞かない。

私が生まれてから祖父母と同居をしていて、そのころ元気だった祖母は中々の性格だったから、母の鬱の原因は概ね祖母だとずっと思ってきた。

でも、ここ最近になって、横に寝ている父に、イビキをかくと枕を突かれていたことがキッカケかもしれない…なんて話していた。
睡眠に対する緊張が、神経を乱したのは理解できるが、はやり根っこは祖母なのだろう。というか長年の同居生活かもしれない。

本当にずっと横になっていた。
私はなんて声をかけていたのかな。そっとしておいたのかな。
気遣うつもりが、気を遣わせていたのではないかと想像するけれど…でも、あの頃の彼女には気を遣うパワーなんてなかった。

母が床に伏せる直前、私と姉がご近所さんと車で出かけることになった。
そんな私達をとても心細そうに、いつまでも見送る彼女の顔は今でも忘れられない。
祖母と二人で家にはとても居られない心境だったのだろう。
一瞬、あれ?おかしいぞ。と思ったけれど、楽しさに引っ張られてしまった自分に残念な気持ちになる。

父と姉と私。ぽっちゃりの母が食べないことの重大さをひしひしと感じていた。
普段料理していなかった私が作ったハンバーグは、薄くて美味しくなかった。
でも、父と二人で作ったビシソワーズは暑い夏に冷やして出したら母がとても喜んだことを覚えている。
元気になってからも、母は何度か、あのときのビシソワーズがとても美味しくて…と話した。

振り返ると家の中の空気は特殊なものだった。今、ぼんやりとだが思い出すと、涙ぐむほどだ。でもあの時は泣くことはなかった…と思う。たぶん。
本当は、母に早く元気になってほしかったけれど、いつか元気になると信じて、気長に辛抱強く見守ろうと必死だったから。

症状が軽くなって、話ができるようになった頃、母が「どうして私はこうなのだろう云々…」と私に話した。
それに対して私は「私も寝込まなくとも、鬱々とするときがあるよ。皆あると思うよ。」と返したそうで、それは彼女には光る言葉になったそうだ。でも私は覚えていない。でも言葉を選んでいた緊張感は覚えている。

休んでいいんだよ
大丈夫だよ
そんなメッセージを伝え続けていたとは到底思えないけれど、心底母のことを想っていた時期だった。

41歳になって、元気な母との距離はある程度必要だと感じている。そのくらいグイグイくる。
そんな彼女のことを、あの頃はグイグイどころか、霞のように感じていた事を今になって思い出した。

姉や父はどう感じていたのだろう。
時を経て、今彼らとそんな話がしたくなった。

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