『 行動経済学が最強の学問である 』読むだけで、世間を見る鋭い眼をもてる
何をもって最強の学問というのか、ちいさい子どもが、どのヒーローが最強かといいあうような問題ではなかろうか。
すこし世の中をひねて、冷めた眼でながめる私はそのように思った。
しっかりとなぜ最強の学問なのかは、本のなかで説明されている。
行動経済学をおおざっぱにいうなら、阿呆な人が、なぜそのような行動をとるのかを研究する学問である。
この本を読んでいると、なんども、なんども、思いあたるフシにぶちあたる。
なぜ、おれはこのような行動をとるのか、なぜ、私はあんなことをしちゃったのかしら、なんで、損するとわかっているのにそんなことをしてしまったのか。
そんな阿呆な行動をとってしまったのか、自分でも理解できない。
その理解できない、WHYをしっかりと解きあかし、しっかりと説明してくれる。
なので読みながら、なんども、なんども、なるほどとうなずかされる。
たとえば、買おうか迷っている商品があり、インターネットで検索する。
おそらくページの上位には、おすすめ30選、40選、50選、さらには100選という大きな数字が並ぶ。
おれは、その数字を眺めるだけで、うんざり、ぐんにょりさせられ記事を読む意欲をなくす。
ひとは、選択肢がたくさんあると選ぶのが億劫になるそうだ。
おすすめ商品は、厳選した10選あたりにとどめたほうがよいのではないだろうか。
この本を読み、人間の行動原理がわかれば、広告にまどわされる、闇バイトに応募することも減る。
そして、対人関係の悩みなどを解決する方法に気づくこともある。
たとえば、今日の夕食なにがいい、とたずねる。
適当でいいよ、と返事がかえってきた。
そして、いざ焼き魚を夕食にだすと、肉が食べたかったと文句をいうバカ野郎がいる。
そんなときは、行動経済学を利用し、今日は魚と肉のどちらが食べたい、とたずねるとよい。
ひとは、自分で選びたがり、そして選んだ結果にはあまり文句をいわないそうだ。
ちいさい子どもにお手伝いさせる魔法のような問いかけ方法も書かれている。
ワンパクで利かん坊なお子様に悩まされているかたは、行動経済学を学んでみてはいかが。
肉とこたえながら、いざ魚が食べたかったという連れ合い、友人とつきあう時間は、機会コストの損失であるからして、すぐに別れるべきである。
この本は、いろいろな偉い学者の実験や、論文を引用している。
そして、偉い学者などと、作者はどこどこで知り合った、仕事をした、いっしょに実験をおこなったなど、といちいち書いている。
そんな偉い学者さんとお知り合いの作者が書かれた本であるならば、きっとこの本は、すごいのだろうと読者に思わせる効果をもたらしていると推測した。
この推測は、私個人のもので、本にはそのようなことは書かれていない。
このような推測をもてるようなったのは、『 行動経済学が最強の学問 』を読んだおかげだろう。
ひとが、なぜ阿呆な行動をとるのか観察するのは興味ぶかく、行動にいたる原因や心の動きを想像する戯れは、無料で遊べる極上の道楽だと思った。
SNSやヤフーコメントで暴言をはく人間、注目を集めたいがために派手なことする、または虚偽をアップする。
いまの世の中、阿呆な人間にはことかかない。
ただし、こっそり行動をのぞいておくだけにしておいたほうがよいだろう。
阿呆にバカというと、波がたつ。
『 行動経済学が最強の学問 』は、行動経済学というものを知らない私にはとてもよい本だった。
この本は、行動経済学のほんの触りだけを教えてくれる。
触りだけでも十分にさまざまな知識をえられる。
そして、行動経済学に興味をもたせる良書だといえる。
この本を読み、行動経済学をもっと知りたくなひとが続出し、さらに行動経済学を学びたいと色々な本を手にとり学びを深めようとしたひともいるだろう。
私もそのひとりである。
じっさいに本屋にいき、行動経済学の本を手にとった。
そして分かった。
『 行動経済学が最強の学問 』はベラボウにやさしく、ていねいに、阿呆でもわかるように書かれていると。
ほかの行動経済学の本は、あえて難解にしているのではと思うほどに書かれていることがわからない。
阿呆なおれは、『 行動経済学が最強の学問 』を再読し理解するだけにとどめようと思った。