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海外の過去の戦いはHOTだった あの英雄・将軍はいかに戦ったのか ベストバウンドは獅子王VS傭兵王#わたしとニコニコ

ニコニコ動画のコメントは消して視聴する派。

日本や中国の歴史上の合戦は、いろいろと知っている。

しかし、海外の戦いのことはまったく知らない。

学校の歴史の授業では海外の戦いの概要は、ほとんど習わないじゃない。かの有名な赤壁の戦ですら、1行ぐらいしか書かれていなかったような。

みんな名前は知っている、アレキサンダー大王やハンニバル、ナポレオン。彼らのなにが偉大だったのか、彼らはどのように戦ったのかご存知だろうか。

わたしは知らなかった。その海外の戦いをわかりやすく解説してくれたのがニコニコ動画。

ふたりの女性キャラクターが、戦いの内容を教えてくれる解説動画。兵士と兵士が直接にぶつかるまえの状態から解説してくれるので、戦いの流れがつかめる。海外の戦いをどこで勉強なされたのか感心させられもうした。視聴者の書きこみしているコメントの知識もすごい(たまにコメントをONにする派)、ニコニコ動画の投稿者と視聴者はどこで勉強してるんだ。

戦いの解説を聞くキャラクターは、一部の人に刺さりすぎるほど刺さる歴史上のキャラがモデルだと思われる。

名前を聞けば、とりあえず映画のあの人が浮かぶようになった人物。

スパルタは300人でペルシア帝国をくるしめた。ペルシア帝国は勝った。しかし、そのあとペルシア帝国はベコベコにされHP0になる。海戦には負けるわ、体制をととのえたスパルタにボコボコにされるわ、あげくの果てに、あの大王が東方遠征にのりだす。そして、300人のスパルタの兵士のカタキだと、ペルシア帝国の首都は、アレキサンダー大王に焼かれ灰塵に。

かの有名なアレキサンダー大王。東方と西洋をむすびつけヘレニズム文化が華ひらいたと教科書には書かれている。

ただ、アレキサンダー大王の、いったいぜんたいなにがすごかったのか知らないひとのほうがおおいのではないだろうか。

アレキサンダー大王のすごさがわかる動画はコチラ。

アレキサンダー大王もすごかったが、アレキサンダー大王のお父ちゃんもすごかった。お父ちゃんが育てた兵士がいたから東方遠征できたのかもしれない。そのあたりは、完結しない漫画のひとつにあげられている『 ヒストリエ 』に描かれている。

アレキサンダー大王が先頭にたち、敵を包囲殲滅する作戦。アレキサンダー大王も脳味噌マッチョマン。

携帯電話もない時代に、よく命令がいきとどくもんだなといつも不思議におもう。

そして、アレキサンダー大王の戦術を芸術の域に高めたのがハンニバル・バルカ。映画に登場するサイコな博士ではない。

カルタゴの雷光ハンニバル・バルカ。異名がつくと3割ほど恰好よくなる。漫画『 ドリフターズ 』ではボケ老人化している。覚醒するときはくるのだろうか、いや、そもそも続巻はでるのか。

巨大帝国になる一歩手前のローマをボッコボコにした戦争芸術の極致といわれている戦い。華麗なる戦といわれてもローマ兵には死んでもなりたくはない。未亡人製造機、それがハンニバル・バルカ。

ハンニバルは、その後何年も敵地イタリア半島で暴れまわる。しかし、最終的にイタリア半島から撤退させられてしまう。ハンニバルは名将だった、それは間違いないだろう。しかし、ローマには良将がたくさんいた。ひとりの名将VS良将たち、それがハンニバル戦争だと思っている。

塩野七生さんの小説かエッセイにて、ハンニバルは兵たちにボイコットされなかった稀有な将軍だと書かれていたように記憶している。かの借金大王かつ女グセが悪くハゲ散らかしたカエサルですらボイコットされたのに、ハンニバルは敵地にいながら転戦しつつ兵たちにボイコットされなかったのがスゴい、だから名将らしい。

こうは考えられないだろうか、敵地でボイコットしたら俺たち死んじゃうと兵たちは思っていたのではと。

話をもどそう、古代のローマ人たちは勤勉だった。そのなかで特に勤勉だった将軍がハンニバルの戦術を研究した。

そして、ハンニバルと直接対決することになる。その名は、スキピオ・アフリカヌス。その二人がぶつかった合戦が『 ザマの戦い 』

ハンニバルは『 ザマの戦 』でローマ人に「ザマァァァァ」されてしまう。

『 ザマの戦い 』のあと。敗者のハンニバルも、勝者のスキピオも幸せに生きられなかった。狡兎死して走狗烹らる。諸行無常。

合戦のあと二人が偶然であいスキピオがハンニバルに偉大な戦術家はだれだ、と尋ねたという逸話がある。

アレキサンダー大王、ピュロス(ローマを苦しめた将軍らしい)、そして、第三に自分と答えた。
『 ザマの戦い 』で勝利していれば、自分が1番になっていたと答えた、そうだが真実か虚構かは歴史の神のみぞ知る。

さて、裸族の反対にたつキャラクターのモデルであろう人物の話をしよう。

近代よりちょっと昔風の軍服をきているるキャラのモデルは、フリードリヒ2世 (プロイセン王)と言われている。ナポレオンが生まれるちょっとまえの時代のドイツあたりで活躍した君主。軍隊を近代化し戦いに強く周辺国を圧倒していたそうだ。(あまりくわしくない)

そこで、女帝マリア・テレジア(マリー・アントワネットの母)と女帝エリザベータ、ポンパドール夫人たち周辺の国々の女性たち同盟をむすんだ。そしてフリードリッヒ2世と対峙した。

当初はフリードリッヒ2世は、女が手を組んだ、ペチコート同盟だと揶揄していたが、あわやの自殺寸前までに追いつめられる。女性蔑視発言をして炎上したインフルエンサー感があるフリードリッヒ2世。

そんな絶対絶命のフリードリッヒ2世を救った人物、それがピョートル3世フョードロヴィチ。

女帝エリザベータの急死により帝位をついだ人物、それがピョートル3世フョードロヴィチ。彼はフリードリッヒ2世を崇拝していた。帝位をつぐとすぐにフリードリッヒ2世と停戦、講和、同盟をむすぶ。フリードリッヒ2世は、ペチコート1枚分で首がつながった。

その後すぐに、ピョートル3世フョードロヴィチは痔で死んだ、ことにされている。お嫁さんに暗殺されたというのが通説になっている。

そのお嫁さんもまた大帝とよばれることなる。その子孫と戦いを繰り広げる人物、それが、アレキサンダー大王やハンニバルと比較される人物、いや、二人よりも名前を知られているナポレオン・ボナパルトである。

辞書に不可能がなかったり、3時間しか寝なかったり、奥さんの香りがチーズだったり、お酒の名前になったりと、なにかと有名なナポレオン・ボナパルト。

しかし、彼が何をしたのか、どのように戦ったのか知らない人がおおいのでは。

それがわかる動画が、こちらの動画になる。

しかし、この動画を視聴したあとの感想としては、平日の公園のベンチでたそがれていそうな人物がすごかったのではと思わざるをえない。重度の近眼、重度の近眼のハゲ、鉄壁のハゲ、不敗のハゲ、このハゲが、しこまたハゲしく優秀だったのではと、ナポレオンよりも。

アウエルシュタットの戦い、アウステルリッツの戦い/三帝会戦で光輝く活躍をしたハゲ、それが不敗のハゲ。疾風のようにハゲしくすばやい行軍速度。侵略すること火のごとくハゲしく。そして、要所要所でピカリとヒカる戦術眼(ど近眼なのに)

ナポレオンの最後の戦いに、不敗のハゲが参陣していたら、と想像する歴史家はたくさんいるそうだ。歴史にIFはないが、たいへん興味深い。

人は見かけじゃない、ハゲでも歴史の闇に燦然と輝くのである。ハゲても優秀な人物になれるのだ、ハゲたとしても心までハゲちらかすな。ハゲしく落ちこんだときは、彼をおもいだそう、ハゲの希望の星、ルイ=ニコラ・ダヴーを。

Wikiを読むだけで、優秀で仲間おもい、誠実な人物だとわかる。子孫は日本人とも結婚しているらしい。

いよいよ、海外の戦いのなかで、もっとも熱く、もっとも激しく、もっとも血みどろ、硝煙の香りがわきたち、もっともドラマチックな戦い、私的ベストバウト『 リュッツェンの戦い 』

北方の獅子王VS大傭兵隊長がぶつかった戦い。

日本では、マイナーすぎる戦い。知っている人は知っているだろうが、日本人の90%は知らないであろう戦いと登場人物たち。

時は三十年戦争真っ只中。三十年戦争については、私は理解していない、宗教戦争はむずかしすぎる。そもそもプロテスタントとカトリックも理解してない。

だがしかし、この戦いは血がたぎる。心の臓がふるえる。

これ以上文字をかさねるのは、はなはだ野暮というものであろう。ご覧あれ、北方の獅子王VS大傭兵隊長の両雄がぶつかった『 リュッツェンの戦い 』を。

ニコニコ動画で、たのしく海外の戦いと偉大な歴史上の人物の戦いかたを勉強させてもらった。

そして、真実よりもドラマチックな戦いにワクワクさせられた。たのしい時間をありがとう、ニコニコ動画。

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