たとえる技術を読んで
うんこ。
これでは、あなたの想像するうんこと私の想像するうんこがちがうだろうと思うんこ。
では、たとえる技術を使ってみようか。
リードシクティスのようなうんこ。
これならば、読んだあなたは、リードシクティスのようなうんこを想像することだろう。
これがたとえる力である。
リードシクティスを知らない。これを読んでいる機材ですぐに検索するといいと思うんこ。
そう、たとえる技術を身につけたのであれば、他人に伝えたいことが伝わるのである。これは身につけるしかあるまい。
リードシクティスがわからない、あなたのためにもっとうんこをわかりやすく、たとえてみようと思うんこ。
アラレちゃんが枝にさしてもっているようなうんこ。
これなら昭和世代にバチコンと刺さるうんこのたとえになっているはずだ。「ンチャ」という声も聞こえてくるだろうんこ。
さらに、たとえる技術を磨くことで、じぶんの感情を他人に伝えることができるようになる。
たとえば、こうである。めっちゃ爽快感があった。これではな~んも伝わらない。そこでたとえてみよう。
一週間ほどウンともスンとも音沙汰がなかったうんこが肛門から、ブリッと飛び出たぐらい爽快だった。そしてケツの穴がきれるほどうんこは硬かった。
爽快な様子が伝わったことだろう。そして悲痛も伝わるという。たとえる技術を磨くことで爽快さと悲痛の二つを伝えられるのである。すごいだろうんこ。
どうだろうか、たとえる技術のすばらしさ、それはまるでクルりと大蛇のようにトグロをまいた黒茶色のうんこのようにすごい一生に一度でるかでないかのようなうんこのようにすごい、それがたとえる技術。
たとえる技術のすばらしさを伝えることができたと思うんこ。