コーヒーの淹れ方 ていねいな作業には意味があった 今まで雑に淹れてきたコーヒー豆さんたちに懺悔(ざんげ)するnote
コーヒーなんて、てきとうにコーヒーの粉をいれ、てきとうにお湯をジャーと注いだらエエねん、と思っていた。そして、そのようにしてコーヒーを淹れ飲んできた。
コーヒー豆を焦がさないようにポップコーンのように炒ったり、コーヒー豆をお洒落なマシーンですったり、頻尿気味のおっさんのような景気の悪いお湯をチョボチョボといれたり、むっつりとコーヒー粉を勃起させ蒸らしたり、ていねいに淹れたりするコーヒーの画像や写真、動画をみるたびに、シャラクセェと思っていた。
そんな私めが、ていねいにコーヒーを淹れてみた。目にとまったnoteを読み、チカッと魔がさした。ていねいにコーヒーを淹れてみるか、と。
ていねいにコーヒーを淹れてみてビックリした。雑にいれていたコーヒーは泥水だった、と言わざるをえない。
なんて澄んだ香りがあるんだ、ていねいに淹れたコーヒーには。
いままでのコーヒー豆さんたちにあやまりたくなり筆をとった。
参考にさせてもらったnoteはこちら。
お洒落なお写真たっぷり、ていねいにコーヒーの淹れ方を教えてくれるnote。おいしいコーヒーの淹れ方を知りたい人はリンク先のnoteを熟読したほうがよい。
コーヒー豆のひき方なども書かれているが、そこは割愛。家にあるコーヒー豆を使う。
まずはペーパーをドリッパーにおく。ここまではコーヒーを淹れるひとであれば、だれであろうが行う作業。
つぎに、コーヒー豆をいれずにペーパーをお湯でぬらす。すでに、この作業でメゲそうになった。お湯をわかしペーパーをぬらす。ドリッパーと密着させるとよいそうだ。
しっかりと密着させられたペーパーは、ドリルでえぐったように螺旋状になっている。コーヒーのおいしさを天元突破しそうである。
ペーパー、ペーパーと書いているが、ペーパーという名前であっているのだろうか。カメラをかまえた陽気なピンキー夫婦の姿が頭にチラつく。
ペーパーフィルターというそうだ。正式名称でもピンキーな影はチラつく。
密着させたペーパーフィルターにコーヒー豆をいれる。なるべく平にするとよいそうだ。
コーヒー豆に注ぎいれるお湯の温度は90℃以上とのこと。90℃のお湯は、でかい泡がボコボコふきだしカッカッと熱くHOT。人肌にかかってしまえば、かくじつにエラいことになる温度のお湯をコーヒー豆に注ぎいれるようだ。
雑にいれていたときの温度は、ちいさい泡がポツポツと鍋肌につくお湯で淹れていた。温度を計ってみると60℃ほどだった。
50ccほどのお湯をまずはコーヒー豆に注ぐと書かれている。すくなめのお湯を注ぎいれた。
カッと稲妻が轟くように雷光一閃、一気呵成にコーヒーの香りがたつ。そうか、お湯の熱さが、コーヒーの香りの厚さにつながるのかもしれない、などとツラツラと考えた。
すこしのお湯をいれたあとは、コーヒー豆をスプーンで混ぜる。お湯が落ちきるまえに、手早く3回ほどかき混ぜるように書かれているが、マッハで落ちていくお湯。1秒間に16連射するほどの素早い作業がもとめられる。そのうえ、コーヒー豆がスプーンにくっつき、とてもメンドクサイ作業。
スプーンでコーヒー豆を混ぜ1分ほど待つ。海水がひいた砂浜のようなコーヒー豆からは、シオマネキではなく、コーヒーの香りの優雅なマネキ。
さて、いよいよ、まちにまった。2回目のお湯の投入となる。頻尿のひとのようにチョボチョボといれたり、ていねいに円を描く必要はあまりなく、ドバッと淹れなければよいそうだ、ドバッといれてはいけませんゾ、わかりましたか、わかりましたね。
クリーミな泡がたっている。はんぶんは優しさからできているような泡。
ドバッとお湯を淹れると、コーヒー豆をお湯が通過していくだけだった。泡がたつことはなかった。これが、ていねいにコーヒーを淹れる効果なんだろう。
さて、なんかドリッパーをゆらしたり、たたいたりしてコーヒー豆とお湯をなじませるとよいと書かれている。きっとなじんでいるだろうと思いつつお湯が落ちきるのをまつ。
ドリッパーから落ちたコーヒーをスプーンでかきまぜ、ていねいに淹れるコーヒーのできあがり。
これいじょうテマヒマがふえてしまうとモノグサ5段の私はていねいにコーヒーを淹れたいと思わなくなってしまう。メンドクサイと思うコーヒーのC線上ラインぎりぎりのていねいなコーヒーの淹れかた。
このコーヒーの淹れかた、コーヒーにたいする考え方のコペルニクス的大回転がおこった。
ていねいにコーヒーをいれる作業、ひとつ、ひとつに意味があったのだと気づかされた。
そして、ていねいに淹れたコーヒーは、雑にいれたコーヒーよりも格段にうまいと言わざるをえない。
鼻すじの通ったクレオパトラのように典雅にして優雅かつ高貴なコーヒーの香り。このコーヒーアロマは、お坊さんがルンバを踊るどころか、サンバすら踊りだしそうである。
雑にいれたコーヒーの口あたりと風味が泥だとすれば、ていねいにいれたコーヒーの口あたりと風味はコーヒー。
雑にいれたコーヒーがドクロだとすれば、ていねいにいれたコーヒーは小池栄子さん、それぐらいちがう。
スパーンとしたキレがあり、雑味のない透明なコーヒー色のようなスッキリとした口あたり。
やわらかい風味の軟水に、コーヒーの香りをゆっくりと重ねあわせヒュージョンさせたような口当たり。お湯の柔和な口あたりを活かしつつ、スパーンとした日本刀のようなコーヒーの苦味あるキレ。
ここに、砂糖や牛乳をくわえるのは、野暮としかいいようがないが、お好みは人それぞれだ。純なコーヒーの口当たりと風味を堪能したのちに微調整するとよい。
スッキリとした口あたりと典雅な香りと風味を堪能していると気づく。雑に淹れたコーヒーにあるエグみや雑味、酸っぱさがまったく、ちっともない。
削りに削った白米で作るような日本酒の清純な旨み。オブラートで包んだようなやわい苦味がある。その苦味の余韻にひたる。
雑に淹れるコーヒーよりも、ていねいに淹れたコーヒーを飲んでいると、10倍ほどはリラックスできるように感じられる。
いそがしい日本人、だからこそ、メンドクサイ一歩手前のていねいに淹れるコーヒーのアロマをかぎ、純粋な苦味のコーヒーを堪能しつつリラックスすべきではないだろうか、どう思います?
メンドクサイ一歩手前のていねいなコーヒーの淹れかたを教えてくれた作者さんとnoteに感謝し、左側からすばらしい香りをたてているコーヒーを眺め、そのコーヒーの味を堪能し、雑に淹れてきたコーヒー豆たちに懺悔しながら、noteをしめくくる。