『 ひかりごけ 』武田泰淳著を読んで。
人の肉を食べる文章があります。苦手なかたは、読まないようにしてください。
さて、おぞましいとされている人の肉を食べる行為。
けれども、人肉にかんする小説やエッセイ、ルポルタージュ、映画は、人の骨の数よりもたくさん存在している。
禁忌と言われれば言われるほど、蛾が夜の灯りにあつまるように、人間もコソコソと禁忌に集まる傾向がある、と私は思う。
というわけで、私は人の肉を食べる描写が書かれている小説を読んだり、動画を見たりするのが大好物だ。
私のように道をふみはずしておらず、人の肉を食べることに嫌悪感があり、その描写を読むのも苦手だ。
けれども、人肉を食べる話を読み、禁忌の一端をのぞきこんでみたいと思われるかたに自信をもってオススメできる小説、それが『 ひかりごけ 』
『 ひかりごけ 』は、読んだり、見てきたりしたなかで、もっとも清潔で高潔な喫人小説。
短編小説に分類される『 ひかりごけ 』は、おおきく三部にわかれる。
はじめは、ルポルタージュの形をとる。
作家が、実際におこった事件を調べる様子が書かれている。
事件のおこった土地を丹念に調べあげ、気候や風土、土地の気質などをしっかりと把握できる。
平坦ともいえる簡素なルポルタージュの文章は、すこぶる読みやすく明るい。
ところが、人が人の肉を喰った現場を書いているのだと思った瞬間、言葉の一文字一文字にどことなく影がさす。
第二部は、戯曲の形態をとる。
暗くなった客席にすわり、明るい舞台のうえでくり広げられる喫人の舞台をしっかりと見つめられる。
おおげさな身振り手振りで、会話している相手をみつめず、観客席にいるあなたをみつめ演技をしている役者の姿を見ることができる。
劇なので、人肉を食べる文章はひかえめ。人肉を食べる文章が苦手なひとでも読めるだろう。
人の肉を食べる文章はなく、人の肉をなぜ食べるのか、動機に焦点があてられているように感じられた。
餓死しそうだ、だから食べた。人肉の味に興味があったから食べた。太古から現在まで人が、人の肉を食べるおおきな理由のふたつにあげられる理由。
小説のなかで人肉を食べた人間は、餓死したくない、人肉に興味があったわけではない。
お国の任務を遂行するために、生きなければならない、そのために人の肉に食べた。
いまの日本では考えられない喫人の理由だと思った。
人が人の肉を食べるシチュエーションを夢想することがある。
補給のとだえた籠城中の城、雪山で遭難したほら穴、快楽のために食べるなどなどシチュエーションを思いうかべる。
お国の任務のために、人肉を食べるかと尋ねられたならば、否と答える。
むしろ、いまの日本にはびこっている政治家を〇〇して食べたい。
生きたまま鉄製の肉たたきでペタンペタンと政治家をたたき、生きたまますり鉢にいれ、鉄のすりこ木棒でゴリゴリと削ったあげく、地獄で使われている鉄鍋で素揚げにしてやりたい。
金が腐ったような匂いのするその肉片は、閻魔さますら顔を青くする腐臭がただよっているだろう。
その腐臭ただよう肉片を政治家の肉親の口のなかにつめこんでやりたい。
さて、話をもどそう。
私は、生き残るために人の肉も食べないと思う。
人の肉を食べるとすれば、それは快楽のために食べる。
たとえば、性行為におよんでいたときにお尻や胸にガブリと噛みついてみたいと何度もおもった。
白いお椀のような乳房の表面の青い血管は、サケの血管のように珍味なのだろうか。
また、サクランボのような乳首、梅干のような乳首、グミのような乳首たちの味はちがうのだろうか。
ふわりと柔らかいお尻と、ひきしまったお尻の噛みごたえはちがうのか。
瀟洒な下着にぽてりとのったお腹の肉は、モチのように柔らかいのだろうか。
食と性は、両立しないと言われているが、喫人にかんしては、食と性は両立すると思う。
性行為をおこないながら、人の肉にかんして想像の羽をよくひろげ、子孫の素を放射していた。
このように、『 ひかりごけ 』を読むと、自分の心の奥におしこんでいる欲求に気づかされる。
清潔で澄明ともいえる輝く文章を読んだ人間の影が照らしだされる。
三部は、人の肉を喰った人物が裁判にかけられる法廷劇になる。
そして、人の肉を食べた人間が、罪人として裁かれるのか無罪となるのか。また人を喰った人間の精神状態はどのようなものか。
それはご自分の目でご確認ください。
読みやすく清潔な喫人小説『 ひかりごけ 』は、人が人の肉を食べる描写が苦手なひとでも読めると思う。
一方で、がっつりと手ごたえのある喫人小説を読みたい人間には物足りないと感じられるだろう。
私もすこし物足りないと思った。
たとえば、人を殺す描写は書かれている。けれども、どのように人の肉を食べたのか、それが詳しく書かれていない。
生で食べたのか、焼いたのか、ゆでたのか、干したのか、蒸したのか、揚げたのか、調理法もわからない。
どの部位を食べたのか、大胸筋や肩、ふくろはぎなどの大きい部位だけ食べたのか、目や脳、内臓などはどうしたのか、そのあたりが書かれていない。
また、人肉の味は甘いのか辛いのか、かたいのか柔らかいのか、そのあたりの手ごたえがない。
以上のことから、『 ひかりごけ 』は、人肉を食べる描写がすくなく残酷な描写が苦手な人でも読める喫人小説であり、喫人玄人にはモノタリナイ小説と言える。