母と私の壮絶な日々
記憶があるのは幼稚園の時は祖母に育てられ
ていた。だから当時は祖母の事を母親だと思
っていた。後々祖母から聞いた話では母と父
が離婚した後父に引き取られたが父の仕事が
忙しかったらしく祖母が引き取ってくれたそ
うだ。その話を聞くまで私はてっきり母が預
けたのかと思っていた。
小さい頃の私はどこか寂しかったのだろう。
よく癇癪を起こしていた記憶がある。ある日
母親が私を引き取りに来た。私は祖母から、
離れるのが嫌で嫌でその女(母だけど)を「帰
りたくない!死ね」と言って追い返してしま
った。でも言ってはいけない言葉だとわかっ
ていたから成長していくにつれても長い間、
その事については罪悪感を抱えていた。
小学1年生になったあたりで無理矢理母に引き
取られ母との2人暮らしが始まった。母は私を
育てる為に水商売をして生計を立ててくれてい
た為、小さいながらに夜は1人で過ごしていた
1人でいる時は海外のアニメを観てくまちゃん
抱きながら眠くなるのを待つ日々だった。酔っ
払って帰ってくる母がベット以外の場所で寝て
しまわないか心配で鍵の開く音がする度に必ず
目を覚ましていた。
ある日酔っぱらった母が玄関で転けて瓶の上に
座ってしまって血だらけに怪我してしまったり
クローゼットをトイレと勘違いして用を足して
いるのを発見したりとにかく帰って来た後何が
起こるか分からなかったから幼いながら十分に
は睡眠が取れていなかった。
そんな日々を過ごしていたある日母親に彼氏が
出来た。その彼氏は休日に私と母を連れて様々
な所に遊びに連れて行ってくれた。凄く楽しく
てすぐに私はその彼氏に心を開いて。暫くする
とお父さんと呼んでみてと母に言われてそこか
らお父さんと呼ぶ様になり彼氏からその人は、
義父と言う認識に変わった。
でも一緒に住む事訳でもなく平日は夜ご飯を食
べて帰り、土日は相変わらず様々な場所に連れ
いってくれ長期休暇は沖縄などに旅行にも連れ
て行ってくれた。母は義父と一緒に住まない理
由は実家(義父)で母親の面倒を見なくてはなら
ないからだと聞いて育ったので特に疑問も持つ
事もなく私は年齢を重ねて行った。
入学式や卒業式、様々な行事に母も義父も積極
的に参加してくれた。何不自由なく楽しく幸せ
に暮らせていた。でも当時から母がよく義父に
キレて蹴ったりして居たのを見かけていたので
喧嘩の内容はわからなかったが義父が可愛そう
だなと思ってよく義父の味方をしていた。母が
家の鍵を開けなかった時も私が鍵をそっと開け
て義父を部屋に入れていた。
そのくらい母の切れかたに疑問を感じていた。
それは私が大人になってからも続き激しさを
増して行った。そのうち母は義父の事を病気だ
と言い始めアスペルガーなんだよ!とよく私に
愚痴っていた。でも私から見た義父は普通に見
えていた。だから母に話を聞きつつも心は父の
味方をしていた。
まあ幸せではあったが頻繁に起こる喧嘩を観て
来たせいで大きい苛立ちを含んだ声が凄く怖く
なっていたし、次第に私にも当たりが厳しくな
ってグーパンチで殴られたり、あんまり怒らせ
るとあんたを殺してしまいそうになると言われ
たりハンガーで叩かれたりお茶をかけられたり
していて、母の咳払いやクシャミでさえ私を、
怒鳴ってる声に聞こえて怯えて生活していた。
でも母は怒ってる時以外は凄く優しくて私の味
方で、心が弱いせいでよく不登校になっていた
私を支えてくれたし、整理整頓が出来ない私の
机などを常に掃除していてくれてた。
そんな日々を過ごしていたある日。母は怯えて
いた。「家の鍵空いてた」と言い始め誰かに、
入られてると言い始めた。私にはよくわからな
くて「空いてたんだ〜」くらいにしか思ってな
かった。でも次第に母は敏感になって行って、
ついには家から出なくなってしまった。外には
一切出なくなって数年が経っていた。でも相変
わらず私の身に回りの世話をし家事をして過ご
していた。
元々電車に乗るのが苦手で1匹狼タイプの母だ
と知っていた私は無理に母を部屋から出そうと
はしなかった。でも次第に親友たちとも縁を切
っていった。
そんな中家のドアを開けようとしてる人がいる
と心配する様に母はなっていた。私からしたら
隣の人とか、上の人が階間違えたか酔っ払って
間違えたかくらい思っていて母の言い分に寄り
そわないでいた。でも母はそれに怯えていた。
義父に相談したり警察に相談したりしていたそ
うだ。わたしはそこまでは把握していなかった
そうなり始めた当時ちょうど専門学生をしてい
て日々を忙しく過ごしていたので母に目を向け
られていなかったのもある。
そんな中専門学生の授業中警察から電話がなっ
た。母が安全の為警察署で預かっていると。義
父は母と籍を入れていなかったし、母と祖母は
絶縁状態だったので必然的に私に連絡が来たの
だ。授業を放り出して私は母を迎えに行った。
母は当時またドアを開けようとしてる人が居る
と感じ警察に通報したそうで、そこで警察が来
他時に玄関に置いてある刃物が見つかって、逆
に母が危ない人と思われてしまって警察に預か
られてしまったのだ。でも母自身は自分の身を
守る為に置いておいたものであったらしく、警
察の方もわかってくれて事件扱いにはならず済
んだ。が、私は呼び出されて警察に叱られた…
あと母を精神科に連れて行ってみてはと提案さ
れた。
だがその当時の私は日々の母の行動や言動を聞
き過ぎたせいである意味洗脳されていたのか、
私自身も本当に開けようとしてる人が居ると思
ってしまっていて病院に連れて行くような決断
はしなかった。私自身は実際に見た訳ではない
が母の真剣な物言いと母を信じたいという気持
ちから疑問を持たなかった。
そしてそこから母はさらに敏感になり玄関の覗
き穴にカメラを装着して24時間ドアの向こうを
監視する様になった。今考えればおかしい事だ
とわかるけど当時の私にとっては、母がまた面
倒を起こすくらいなら安心するやり方で生活さ
せてあげようと思ってそのまま放置していた。
次第にドアの音は立てるな!とかトイレする時
はおしっこの音立てないようにしろ!とか窓の
近くで着替えたり立つなとか、色々部屋の中で
も制限を付けるようになっていた。だけど母が
安心するならと目を瞑って言うことを聞いてい
た。次第に疑問は抱えるようになっていたけど
強く母に言えない私はそのまま窮屈なまま過ご
していた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?