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ただ人が止まっているだけの芸術・その起源と政治への活用:タブローヴィヴァン(tableau vivant)
こんにちは、芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属 パントマイムアーティスト 織辺真智子です。
さあ、皆様。目を瞑って想像してみてください。静謐な美術館の中を歩いていると、突如として目の前の絵画が動き出したのです。ルーヴル美術館のモナ・リザが微笑みながらゆっくりと目を瞬き、ゴッホの「ひまわり」が風に揺れ始める。そんな不思議な光景を目にしたら、どう思いますか?
驚くべきことに、これは単なる空想ではありません。「タブロー・ヴィヴァン」(tableau vivant)と呼ばれる芸術形式は、まさにこの驚きを現実のものとしてきたのです。フランス語で「生きた絵画」を意味するこの言葉は、芸術と演劇の境界線上に位置する、魅惑的な表現方法を指します。
あ、今、あなたは興味がないわね、と違うページへ遷移しようと思ったのではないでしょうか。
日本人の多くにとって、タブロー・ヴィヴァンはなじみの薄い概念だと思います。
ちょっと待って・・・!!
よく考えてみると、私たちの文化にも似たような表現が存在します。例えば、歌舞伎の「見得」や能の「構え」は、一瞬時間が止まったかのような強烈な視覚的印象を与えますよね。
また、現代のミュージックビデオや演劇、ダンスにもストップモーションというものがあり、皆さんの印象に残っているのではないでしょうか。また、tiktokで数年前に「マネキンチャレンジ」というのが流行っていましたよね。そんな感じ・・・誤解を恐れず簡単に伝えると「人が止まって何かを表現している(多くの場合は仮装してる)」というただそれだけ。ただそれだけのことに、きちんと歴史があるのです。
あのう、ちょっと興味を持ってくれましたか・・・?
持ってくれていてもいなくても、私は今日から数記事、このタブロー・ヴィヴァンの歴史を紐解きながら、芸術と現実、静止と動きの境界線上で繰り広げられる魔法のような瞬間を探検します。
さあ、「タブロー・ヴィヴァン?なにそれ?」な皆様も「知ってるよ」の皆様も、一緒に行きましょう!あ、読み進めてくれますか?ありがとう!
タブロー・ヴィヴァンとは
タブロー・ヴィヴァンは、一人または複数の人間が、絵画や彫刻、文学作品の一場面を、静止した姿勢で再現する芸術表現です。参加者は通常、衣装を着け、小道具や背景を使用し、時には劇的な照明効果も加えられます。彼らは完全に静止し、無言で、まるで絵画や彫刻の中の人物が生命を得たかのような錯覚を生み出すのです。
現代で言うと、ディズニーシーに昔、2人で白い銅像で立って絵画のようなポーズを作っていたパフォーマンスがあったのを覚えている人はいませんか?「リビングスタチューズ」というパフォーマーたち。ああいうイメージです。
https://www.tokyodisneyresort.jp/tdrblog/detail/180904/
この芸術形式は、視覚芸術と演劇の要素を巧みに融合させています。観客は、絵画を鑑賞するように「生きた絵画」を眺めることができますが、同時にその「絵画」は生きた人間で構成されているという事実が、独特の緊張感と魅力を生み出すのです。
中世の祈りから生まれた芸術
タブロー・ヴィヴァンの起源は、中世にまで遡ります。当時、教会の典礼の中で短い劇的場面や絵画のような場面が演じられることがありました。これらは、聖書の物語を文字の読めない一般の人々に視覚的に伝える重要な手段でした。
特に、キリスト降誕を再現する「生きた聖誕」は、タブロー・ヴィヴァンの初期の形態と言えるでしょう。聖フランチェスコ・ディ・アッシジが1223年に初めて行ったとされるこの実践は、その後ヨーロッパ中に広まり、今日でも多くの教会で行われています。
王の入城式:権威の視覚化
中世からルネサンスにかけて、タブロー・ヴィヴァンは宗教的な文脈を超えて、世俗の祝祭、特に王侯貴族の入城式で重要な役割を果たすようになりました。
フランスの研究者エレーヌ・ヴィザンタンによると、1515年から1615年にかけての王の入城式では、タブロー・ヴィヴァンが舞台装置の中心的要素として組み込まれていました。これらの「生きた絵画」は、王の権威や徳を視覚的に示すだけでなく、都市と王との理想的な関係を表現する手段としても機能したのです。
フランソワ1世のパリ入城式(1515年)
1515年のフランソワ1世のパリ入城式は、タブロー・ヴィヴァンの活用が最も華やかに行われた例の一つです。街中には、聖書の場面や古代神話、さらには王の偉業を表現する多数のタブロー・ヴィヴァンが設置されました。
特筆すべきは、これらのタブロー・ヴィヴァンに「動き」が加えられたことです。王が通過する際、これらの「絵画」が一瞬動き出し、王に敬意を表すという演出が行われました。例えば、正義の女神を演じる人物が剣を掲げて王に敬意を表したり、豊穣の女神が花を撒いたりしたのです。
この「動き」は、静止した絵画と生きた人間の中間に位置するタブロー・ヴィヴァンならではの効果で、観衆に強い印象を与えました。同時に、王の存在が絵画を「生命」で満たすという象徴的な意味合いも持っていたのです。
シャルル9世のパリ入城式(1571年)
1571年のシャルル9世のパリ入城式は、政治的メッセージの伝達においてタブロー・ヴィヴァンが巧みに活用された例です。この時期、フランスは宗教戦争の混乱から抜け出したばかりでした。
入城式では、和解と統一を訴えるタブロー・ヴィヴァンが多数用意されました。例えば、カトリックとプロテスタントを象徴する二人の女性が手を取り合う場面や、シャルル9世が平和の神オリーブの枝を手に持つ場面などが再現されました。
これらは、単なる視覚的な饗宴ではなく、王の政策や理想を人々に印象づける効果的な手段でした。タブロー・ヴィヴァンを通じて、シャルル9世は自身を宗教対立を解消する調停者として印象づけようとしたのです。
政治的メッセージの巧みな伝達
タブロー・ヴィヴァンは、複雑な政治的メッセージを視覚的に伝える強力な手段でした。以下にいくつかの例を挙げてみましょう。
1554年のメアリー1世とフィリップ2世のロンドン入城式では、イングランドとスペインの同盟を象徴するタブロー・ヴィヴァンが披露されました。例えば、イングランドとスペインを象徴する二人の女性が手を取り合う場面や、両国の紋章を持つ天使たちが空を舞う場面などが再現されました。
これらのタブロー・ヴィヴァンは、両国の結びつきを視覚的に印象づけるだけでなく、この結婚が神の祝福を受けたものであるという宗教的メッセージも込められていました。
1600年のマリー・ド・メディシスのリヨン入城式では、フランスとイタリアの同盟を象徴するタブロー・ヴィヴァンが披露されました。フランスとイタリアを象徴する二人の女性が手を取り合う場面は、両国の友好関係を視覚的に印象づける効果がありました。
さらに、マリー・ド・メディシスの出身地フィレンツェを象徴するアルノ川の神と、リヨンを象徴するローヌ川の神が抱擁する場面も再現されました。これは、新王妃の故郷と新たな国の融合を表現したものでした。
都市の自己表現の場として
興味深いことに、タブロー・ヴィヴァンは王権の表現だけでなく、都市の側の自己表現の場としても機能しました。入城式を主催する都市は、タブロー・ヴィヴァンを通じて自分たちの歴史や伝統、経済力を誇示する機会としても活用したのです。
1549年のフィリップ2世のアントワープ入城式では、この商業都市の繁栄を象徴するタブロー・ヴィヴァンが多数設置されました。世界中からの商品が取引される様子や、豊かな市民生活を再現した場面は、アントワープの経済的重要性を王に印象づける効果がありました。
例えば、世界の四大陸を象徴する人物たちがアントワープに貢物を捧げる場面や、様々な国の商人たちが取引する場面などが再現されました。これらは、アントワープが国際的な商業の中心地であることを強調するものでした。
芸術家たちの実験の場
タブロー・ヴィヴァンの制作は、当時の一流の芸術家たちにとって、新たな表現の可能性を探る実験の場でもありました。彼らは、絵画や彫刻の技法を人間の身体を使って再現するという挑戦に取り組みました。
マニエリスム期の画家ポントルモは、1515年のレオ10世のフィレンツェ入城式のためにいくつかのタブロー・ヴィヴァンをデザインしました。彼の特徴的な様式、細長い人体や捻れた姿勢などが、生きた人間によって再現されたのです。例えば、「黄金時代の回帰」を表現したタブロー・ヴィヴァンでは、ポントルモ特有の優雅で細長い人体表現が、実際の人間の身体を通じて立体化されました。この経験は、後の彼の絵画作品にも影響を与えたと言われています。
民衆の娯楽と教育の場
王の入城式は、一般の人々にとっても重要な娯楽と教育の機会でした。タブロー・ヴィヴァンを通じて、彼らは聖書や古典文学の物語、歴史的出来事などを視覚的に学ぶことができました。
また、これらの「生きた絵画」は、民衆の想像力を刺激し、日常生活では見ることのできない豪華な衣装や設定を楽しむ機会を提供しました。時には、タブロー・ヴィヴァンの中に地元の有名人や英雄が登場することもあり、観衆を喜ばせました。
記録と記憶の媒体として
タブロー・ヴィヴァンは、その場限りの芸術表現でありながら、後世に残る記録としても重要な役割を果たしました。入城式の様子を記録した文書や版画には、タブロー・ヴィヴァンの詳細な描写が含まれることが多く、これらは歴史研究の貴重な資料となっています。
1613年のエリザベス・ステュアートのハイデルベルク入城式を記録した版画集は、当時のタブロー・ヴィヴァンの様子を生々しく伝えています。これらの記録は、単なる歴史的事実の記述を超えて、当時の美的感覚や政治的雰囲気を今に伝える重要な文化遺産となっているのです。
時代を超える「生きた絵画」の魅力
王の入城式におけるタブロー・ヴィヴァンの活用は、権威の視覚化と芸術表現の見事な融合でした。それは、観客を魅了し、政治的メッセージを伝え、そして芸術の新たな可能性を切り開いたのです。
この伝統は、その後の時代にも形を変えながら受け継がれていきました。例えば、18世紀末から19世紀にかけては、ナポレオンの凱旋式や王政復古期の祝祭などでも、タブロー・ヴィヴァンの手法が活用されました。
現代では、この伝統はパフォーマンス・アートやインスタレーション・アートの中に新たな形で生き続けています。タブロー・ヴィヴァンの魅力は、人間の身体という最も基本的な「キャンバス」を使って、複雑なメッセージを視覚的に伝達できる点にあります。
今後も、この「生きた絵画」の伝統は、新たな形で私たちの文化や社会に影響を与え続けることでしょう。過去の王の入城式を彩ったタブロー・ヴィヴァンの華麗さと深い意味を知ることで、現代のパフォーマンス・アートをより深く理解し、楽しむことができるのではないでしょうか。