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入院のはじまり(ステロイド導入前日)
ついにこの日が来た。
この日に備えて入念な準備をし、心も覚悟を決めて、これから好きなものも食べられなくなるかもと思って、食事も好物ご飯ばかりの一週間でラストスパート、もちろん仕事も迷惑かけない様に万全の準備をしてきた。なのに前日に仕事でトラブルが起きて…心が崩壊しそうな状態でこの日を迎えることになるなんて思ってもいなかった。号泣した目で朝を迎えることになるなんて。
メイクものらないひどい顔、でも今度家に戻った時には顔が違うかもしれないと思うとさらに泣けてきて、最後にパシャリ。記念写真を撮った。大したかわいいわけでもないし、肌も汚いし、自慢な顔ではない。それでもたくさんの思い出があって。これからの変化がここに見えてくるかと思うとやっぱり私は怖かった。
最後になるかもしれないタバコを一服した。体に悪いのはわかってる。病気のくせになんで喫煙してるのって突っ込まれるのも知ってる。ずっとみんなにやめろって言われてきた。誰にも言えなかったけど、潰瘍性大腸炎になったとき、タバコが唯一いいかもしれないと言われるって知ったこと、免疫の暴走を落ち着かせるためにニコチンが効くと言われることもあること、過剰なストレスからの自己防衛、あとは心の弱さ。人と向き合うお酒、自分と向き合うタバコ。お酒が飲めなくなった今、人と会う機会も急減してる中で、せめて自分とだけは向き合わないと行く先わからなくなっちゃうから。そんな私の弱さだった。
最後になるかもしれない一服をした。
病院に行く日は晴れてることが多いのにこの日は雨が降っていた。土砂降りというよりも、スーッと滴っているような雨。涙と似た雨だった。
病院に到着し手続きをする。肝生検した時と同じフロアの別の病室に今回の私のベッドがあった。6人部屋の大部屋に4人。これから増えてくるのだろうか。荷物を置いて一息する間もなく、看護婦さんがやってきて、早速採血だった。
大量に並ぶ注射の瓶。
12本の血を採った。
今までで一番の採血量だった。
これからどうなるんだろう。不安しかなかった。前日のトラブルも相まって、ちょっと一人になれば泣いてしまいそうな状態だった。そんな自分をごまかそうと家族と会話してみたり、友達にLINEしてみたりした。こんな時に話せる家族や友達がいたことに、心配かけたくなくて連絡したいけど心が落ち着いてから連絡しようと思っている友達がいた幸せにすら涙しそうだった。とにかく、すぐ泣きそうな状態。メンタル完全崩壊で入院生活が始まった。
そして初めましての先生がやってきた。若いがとても話し方に好感を持ついい先生。明日からステロイド治療を開始するとのことだった。てっきり今日これから治療の説明があるものだと思ってたのだが、ないらしい。そして主治医の先生は本日おやすみだと知った。ステロイドの不安、難病申請の相談、医師の意見書を会社から求められてること、何をどうして、そしてこれから私はどうなるのか。目の前の先生は全然悪くないのに、問い詰めてしまいそうで申し訳なかった。ただ、ちょっとだけ副作用がどうなるのか、今後の予定、明日からのスケジュールはどうなるかだけ聞いた。すっごくいい先生だった。ひとつづつ丁寧に教えてくれた。でもやっぱり、やってみないとわからない。うん、それはわかってる。初めて会うのに、優しく、丁寧に、詳しく話してくれたことに感謝してる。
人前では泣かないと決めていたのに、やっぱり涙があふれてしまっていた。そのくらいどんどん情緒不安定になっていってる。まだ治療も始まってないのに。
糖尿病、骨粗鬆症の予兆を察するためなんだろう。この日から血圧、体温、そして血糖値の測定も始まった。骨密度検査をした。そのほか入院に際してのお決まり検査、心電図とレントゲン検査をした。PCR検査はなかった。
検査から戻ると、ちょっと心を落ち着けるためにネット動画をみた。たまたま期間限定無料配信になってた「半沢直樹」の最終回をみた。今私が会社で置かれている状況とは被らないのに被せて半沢に勇気をもらおうとしている自分がいた。
半沢に夢中になって感極まってきたところに、一人の先生が現れた。初診の時にお世話になり、肝生検の時にも一番話しやすかった先生だった。このタイミングでくるか。相変わらずおもしろいと思ったと同時に安心した。話しやすかったから難病申請についての質問と、会社から求められた医師からの意見書のお願いをした。意見書の依頼方法と、難病申請については役所に行くよう教えてもらった。明日は書類周りの準備しようと思った。
先生が戻ると、私はもうこれ以上泣かないために、泣きたくなる曲を流した。