見出し画像

滝口悠生「長い一日」感想~本物ではないが本物の窓目くんは、実在したのであった!!~

・私小説は何ぞや?

ウィキさんによると『私小説』とは、

作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説をさす用語である。



近代日本文学の黎明期を飾る私小説といえば田山花袋の匂いフェチ変態先生の話「蒲団」らしい。
変態度が赤裸々すぎて、やるな!田山花袋と思ったのは私だけか...( ˘ω˘ ; )

最近だと自身をモデルとした男を主人公とした西村賢太作品が頭に浮かぶ。
以上を踏まえ、『私小説』は作者の実体験に基づいて書かれた小説のイメージがある。

・一人称が三人称へ、そして一人称から三人称へ…

本書は、滝口という名前が登場するので私小説なのかと思いきや、いつの間か妻が語り出し、友達の窓目くんが語り出し、友達の八朔さんにけり子さん、けり子さんの夫の天婦羅ちゃんことジョナサンが語り出し、滝口夫妻が住む借家の大家さんまでが語り出す。

語り部は各章ごとで変わっていくのではなく、物語の流れで自然に変わっていく不思議な文体。
一人称(私)だと思っていたら三人称(夫)へと変わり、あらまた一人称になり三人称になってるわ。

フツーなら誰が誰に?頭がこんがらがりそうだけど、強引ではなくさりげなさが心地よくて好き。

ということで、滝口節がやっぱり好きだー(*´˘`*)♡

・<簡単あらすじ>

小説家の夫と妻は、住み慣れた家からの引っ越しを考え始めた。長いつきあいの友人たちやまわりの人々、日々の暮らしの中でふと抱く静かで深い感情、失って気づく愛着、交錯する記憶。かけがえのない時間を描く、著者4年ぶりの長編小説。


引っ越しを考えはじめた夫婦を軸になんでもない日常が描かれる。

リアル滝口さんの奥様って、「鎌倉殿の13人」のロゴも手掛けたブックデザイナイーの佐藤亜沙美なのね。

・語りが変わる意味がここにある

本書の中で妻は、ある出来事に対して不満を口にする。

もっとたくさんの出来事があったのに、書かれた以外のことは思い出せなくなってしまうじゃないか、と。

書かれたことでなにかに利用された、そういう種類の不服でなく、自分が見たもの聞いたもののすべてが書かれていないことが不服だけど...。

小説というのはそうやってすべてを記録できないこの現実を、言葉に書き換えて読んだり話したりできる形にするものなのか。窓目くんはいなくなっても、文章の中の窓目くんはたちは残る、それは本物でないが、そこには本物の窓目くんがいる(本文より)

窓目くんは言います。

「思い出せないからといって、そこになにもないわけではない」(本文より)

うんうん、なんだかわかる。

同じものを見て記憶しているようで、語り部が変わることで見えているものや記憶しているものが違う。
記憶の曖昧さがふんわりと鮮やかに描かれているのが良き。

小説ならではの「想像力」という面白さについての話なのかな...と。


そして、

・本物ではないが本物の窓目くんは、実在したのであった!!

「文學界三月号」に滝口さんと窓目くんの対談が掲載されている。

デビュー以来ほぼすべての作品に彼の断片だったり、ほぼそのままのエピソードが書かれているらしい。

なんと、「ラーメンカレー」の十万字のラブレターも窓目くんが本当に書いていたとはー!

窓目くーん!

田山花袋の匂いフェチ変態野郎もなかなかどうしてだが、窓目くんのふんわり変態さも、なかなかどうして負けてない。

やっぱり好き♡

そして、スーパーマーケット「オオゼキ」愛を20ページ以上にもわたり語る滝口さんも、なかなか負けてないぞ。

そんな人たちが負けずに読み続けたい。

どうせ何を書いたってたいして売れやしないんだから、と笑った窓目くんへ。

なかなかどうして面白いを伝えるために、今後も感想書きまーす。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集