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なりたかった漫画の主人公

「今週のジャンプ読んだ?」
その一言を誰かが発するたびに、居場所を失った。
この事象は確か小学校高学年の頃からはじまって、社会人になった今もたまに発生する。
友だちも先輩も後輩も、まるで共通言語かのようにジャンプの話をするのだ。
読んだことねーわと言って場を白けさせるのも嫌なので、適当に相槌を打ってわかったようなわかっていないような曖昧な反応をする。

そう、僕はジャンプをほとんど読んだことがない。
NARUTOも銀魂もアイシールドも、名前しか知らない。テレビアニメも観たことがないので、話を振られても何も反応できない。
ワンピースだけは、単行本を集めて読んでいたけれど、残念ながら途中で追いつけなくなってしまった。
ただ、僕は漫画やアニメが嫌いな訳ではない。
むしろ好きな方なのだけど、所謂少年漫画との接点が薄いのだ。


思い返せば、周りにいた友だちとは、コロコロコミックまでは同じ道を辿っていた。近所の児童館で、何人かで楽しく読んでいた記憶もある。
だけど、次第に友だちがコロコロを卒業してジャンプを読むようになってきたときに、追従しなかった。
僕は黙々と月500円のお小遣いを使って毎月コロコロを買い、独りで読み続けた。
「コロコロの方が面白いよ」とか、友だちに訴えた記憶もほんのりとある。
特に好きなのはギャグ漫画で、ゴーゴーゴジラマツイくんやカービィだった。

コロコロ以外で言うと、小学生の頃にゴールデンタイムでやっていたアニメが大好きだった。
中学、高校と環境が変わっても、ずっと好きだった。
テレ朝のドラえもん、クレヨンしんちゃん、あたしンちは欠かさずテレビで観ていた。
漫画もせっせと集めた。何度も何度も繰り返し読んで、同じところでいつもゲラゲラ大笑いしていた。
ただこのアニメたちも中学生に上がったあたりから、親友の森谷を除いて「え、まだ観てんの?」という反応をされるようになった。
周りの友だちはテレビを観ずにゲームをしたり、大人が好きな番組を観たりするようになっていて、その辺の話にもついていけなくかった。
ここでも僕は周りから取り残されたのである。


そんな中で、もはや観ていることを外で口にすら出さなかったアニメ漫画が、ちびまる子ちゃんである。
これはたぶん、姉の部屋に漫画がたくさんあったのも起因している。夏休みの暇潰しといえば、ちびまる子ちゃんの読み直しであった。

まるちゃんを読むと自己肯定感が上がった。
だらしなさMAXで気ままなまるちゃんを見ると自分のことをえらい奴だなと思ったし、永沢の陰湿さを見ると自分のことをすごく良い奴だなと思った。全く飛ばなかったソフトボール投げも、藤木には勝った。
まるちゃんだけでなく、さくらももこ作品はけっこう読んだ。コジコジとかもシュールでパンチが効いていてゲラゲラ笑いながら読んでいた。

さくらももこ作品には、めっちゃ悪い奴が出てこないし、血みどろの争いが起きない(まるちゃんとお姉ちゃんのアホみたいな争いは頻発する)。
それに主人公は向上心が基本的に欠如してるから競争が発生しないし、正義と悪の対立構造もない。
これは、僕が少年時代に好きだった漫画、アニメ全般に言えることかもしれない。
厳密に言うと他の作品には悪い奴も出てくるんだけど、そこまで悪そうに見えなかったりユーモラスたっぷりに描かれていたりする。

手先が不器用で運動音痴で人付き合いが苦手で、争い事になると基本的に負けることが多かった少年時代を過ごしていた僕にとって、触れていた作品たちは丁度よかったのかもしれない。

逆に、ジャンプはきっと敷居が高かったのだろう。
身体能力がすごい奴とか、正しいことを言ってる爽やかな主人公が勝つところを、現実以上に目の当たりにしたくなかったのかもしれない。
クラブチームでやっていたサッカーで逆境とか苦しい状況もしょっちゅう味わって疲れていたから、しつこい敵がたくさん出てくるのとかもあんまりみたくなかった気がする。

でもおそらく僕の周りの友だちは、ジャンプの主人公たちが敵を倒す姿を観て、現実の鬱憤を晴らしていたのかもしれない。そういう主人公たちみたいになりたいと、憧れていたところもあるのだろう。
僕の好きなアーティストの歌にも、そんな歌詞が出てくる。
「少年漫画の主人公が敵を倒してく そんな姿に憧れてたんだ」と歌ったのはミイラズで、「週刊少年ジャンプ的な未来を 夢みていたよ 君のピンチも 僕のチャンスと 待ち構えていたよ」と歌ったのはラッドだった。
初めて聞いた時は「あー、あなたちちもそっち系ね」とか思ったけど、意味していることはわかる。
両方とも好きな曲だ。

なぜその意味がわかるかと言うと、少年漫画は読むとめちゃくちゃ面白いのだ。
最近で言うと、鬼滅の刃は面白過ぎるし、呪術廻戦は触りしか観ていないけれどワクワクした。
それに思い返せば、ドラゴンボールは好きでよく読んでいた。
スポーツ漫画だけどスラムダンクも、ホイッスル!も繰り返し読んだ。バイブルだと思っている。

ここまでジャンプは肌に合わないと散々書いておいて、小学生の頃から読んでいるジャンプ作品がたくさんあることに気づいた。
血まみれの正義の争いも読んでいる。
文章が破綻してきた。


まあでも、やはり少年時代に読んでいた漫画の中心は、ちびまる子ちゃんをはじめとした作品だ。
しかしそれらは、高校を卒業するあたりから忙しくなって段々とテレビで見れなくなって、触れる機会が段々と減った。
そして時を同じくして浅野いにおに出会い、僕は現実以上に現実的過ぎる青年漫画にハマって、スピリッツを読むようになった。大学生になってから仲良くなった友だちの多くはなぜかだいたいスピリッツを読んでいて、ジャンプをあまり読んでこなかった人が多かった。
この頃になってようやく、僕は森谷以外の友だちと漫画の話を対等にできるようになった。

しかし僕は一時期、浅野いにおにハマりすぎて、明日死んでも良いとか平気で口にしていた。
ソラニンの種田みたいに死のうとか思ったり、プンプンの世界に引っ張られて世の中に勝手に絶望したりしていた。
それはそれで極端過ぎて、あんまり友だちには共感してもらえなかった。

長々と着地点も考えずに取り止めもなく好きな漫画について書いてきたけれど、結局僕はただシンプルに漫画が好きなのだ。
どんな切り口、どんな対象のものであっても、面白いものは面白い。気分に合わせて、気持ちを楽にしたり、奮い立たせたりしてくれるものを選べば、寄り添ってくれる。
そして、色んな主人公を味わうことができる。
まるちゃんも、のび太も、桜木花道も、孫悟空にも、何にだってなれる。
現実でも、漫画の主人公みたいに生きてみようとか、乗り越えてみようとか、そういう気にさせてくれる。




最近モヤモヤすることが多くて、何が正しいとか、何を信じれば良いのか、よくわからなくなる。
考えすぎてしまうし、判断の基準もわからないし疲れてしまった。
もうTwitterも新聞もテレビも、何もみたくない。入ってくる情報がいちいち癇に障る。
みんな本当のことを言っていて、みんな嘘つきだ。

こんなクソみたいな気分の時は、ぐうたらとまるちゃんみたいに生きるに限る。
どうせ世の中インチキおじさんだらけなんだから、僕も適当でいい。
いいじゃんいいじゃんプップクプーッだ。

おどるポンポコリン / 木村カエラ


<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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