雑談は心のブドウ糖。ポッドキャストが教えてくれたこと
最近寝る前に、ポッドキャスト「TBSラジオ ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」を聞いている。コラムニストのジェーン・スーさんとTBSアナウンサー堀井美香さんがお便りや自分たちの生活のあれこれを題材に、時に真剣に、時に馬鹿話、時に泣ける話をしている。お互いの仲の良さがとても心地よい。軽快な二人の会話を聞いているといつの間にか夢の中へと落ちている。
スーさんがある同性愛者の人からきたお便りを読んだ時に付け加えた一言が印象的だった。
新しい風が吹いた気がした。
LGBTなどの性的指向・性自認を持つ人たちが「性的少数者」と呼ばれる社会で、ヘテロセクシュアル(異性愛者)であるスーさんは、性的少数者の人たちが社会にいることを当たり前とみなして発言をしたのである。
それ以外の発言を聞いていても、「同性の人が好きな人もいるけど」「これは性別とかは関係ないと思うけど」と、異性愛者中心の議論になったときに、そっと方向を戻してくれる。
その誰も置いていかない精神が両性愛者の私にとってはたまらなく、どんどんと引き込まれていった。
そしてエピソード30。
スーさんと堀井さんが真正面から喧嘩していた。スーさんが自分のペースで話を進めすぎ、堀井さんが知らないことを批判した。
堀井さんはそのことに怒り、そういう態度はよくないと懇切丁寧に説明していた。そしてスーさんは番組が暗くならないように配慮しながらもしっかりと謝っていた。
その回を聞いたとき「わかるな」と思った。
例えば私と行天との会話。行天は容姿も頭も良く、コミュニケーション能力も高い。それゆえに、私から見るとたまに「マッチョ男性」的な持論を展開することがある。
行天の持論に対し私が反論すると、周りからみたら喧嘩のようになる。ただし私と行天は相手の人格が嫌いなわけではなく、「これは議論であること」、「この議論を放り出さないこと」という暗黙の了解があるから、互いを突き放したり、見捨てたりはない。互いの言いたいことが出揃うと、その意見が交わらないものでも文字通り肩を組んで、大体のことが終わる。
スーさんと堀井さんの喧嘩に対し、行天と私の温度感に近いと勝手に親近感が湧いていた。
コロナ禍になり、コミュニケーションの量が減った気がする。対面で人に会う機会は減り、大体のコミュニケーションがLINEやZOOMなどのオンラインに移行した。オンラインでのコミュニケーションが増えたとはいえ、対面で会っていた時に五感で受け取っていたものよりは圧倒的に情報量が少なく、人との距離が離れた気がする。
そこで私の中で浮上したのは、ポッドキャストやラジオだ。
OVER THE SUNのほか、お笑い芸人のポッドキャストをきく機会が増えた。また、もともとみていたYoutubeの「チルテレ 友近&ゆりやんの時間」を見直したりしている。
これらのコンテンツを見たり聞いたりしている時に私が大事にしているのは「雑談の心地よさ」だ。必要な情報じゃなくてもいい。演者のお互いに言いたいこと、聞きたいことがそこにあり、攻撃的な物が少ないものが好きだ。雑談を聞いていて、そこに自分もいるような気持ちがして、コロナ禍で減ってしまった友達や知人とのコミュニケーションの穴をしっかりと埋めてくれている気がする。
そして私としても新しい試みを始めた。
一つ目が太と収録したポッドキャストだ。
また二つ目として、太も含めた、私が声をかけた5人で組んだバンド「参画すイ」のメンバーによるポッドキャストでもある。
そこにあるのはただの雑談だ。お互いに話したいことを流れるように話し、笑い、疲れたらやめる。そんな時間なのだ。
自分の声を聞くのは少し恥ずかしい気もするが、少しの寂しさ、物足りなさ、心もとなさなどをしっかりと埋めてくれる気がする。
自分の雑談も、他人の雑談も、聞いた後に思うのは「明日もなんとか頑張ろう」という前向きな気持ちだ。
雑談は、している自分にもエネルギーをくれるし、音声コンテンツで届けることによって他の人にもエネルギーを与えてくれるものだと思う。
雑談は心のブドウ糖だ。
コロナ禍がどうなるのか。先は見通せない。
だけど人と雑談をし続けることはきっとこれからも無くならない。
「疲れた時は雑談を。」それを合言葉に冬支度を整えていきたいと思う。
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