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AI時代、人にしかできないこと

2023年3月20日、ChatGPTが世界を騒がせています。

いままではSNSでしか見かけなかった「ChatGPT」という言葉でしたが、先週ランチを食べている時に定食屋の隣のサラリーマンから聞いた時、ああ、SNSの中だけの流行ではなく一般の人達にも認知され始めたんだなと実感しました。

現在、ChatGPTでできることをあれこれ試し、教職員向けに教材などを作っています。具体的にどのような事ができるかは、別の機会に詳しく話をしますが、教職員の業務の範囲だけで見ても本当にChatGPTができることの幅が広く、またどれもこれまで人にしかできないと思われていた事をわずか数分で出来てしまうという超人っぷりには、ニーチェもびっくりでしょう。

この超人である「ChatGPT」を前にして、さまざまな評価や未来予測がされています。

悲観的な評価として「AIが人の仕事を取ってしまうのでは」という話をする人もいます。それに対して「影響を受ける職は多いだろう。しかし仕事を取る、取られるではなく、うまく利用するのがよいのだ」という話をする人もいます。

また一方で「この程度なら半年後に忘れ去れるだろう」と話す人もいれば「これは世界を変える、新たな産業革命だ」と大絶賛する人もいます。

文章作成や校閲はもちろん、プロットを立てたり、物語を作ったりと、物書きの分野でも多彩な技能を発揮するChatGPTですが、そのようなAIが世の中に普及したときに、それでも人にしかできない事はなんでしょうか。

先に結論を言ってしまうと、私は現在のAIに欠けているもののひとつは「身体感覚」だと思っています。(もちろんそれ以外にも沢山あると思います)

AIは体が無いため、実際に何かを見たり、聞いたりすることはできません。データベースに入れられた情報を元に触るとどう感じるかなどを文章で組み立てることができます。しかし、今、このAIが流行ろうとしているこの瞬間に、世の中の人がChatGPTをどのように評価し、感じているかという肌感覚、時代の空気を感じることはできません。

もちろんSNSに書き込まれた意見はキャッチアップできるかもしれませんが、冒頭に挙げたようなランチの時に隣のサラリーマンがしゃべっていたChatGPTに関する評価、などをChatGPTは知ることも参考にすることもできません。

人にしかできない事の一つは「今、この時に感じていることを表すこと」だと思います。

ネットに書かれた情報や、ネットからアクセスできる情報やコンテンツを見て考えたことは、いずれ(もしくはすでに)AIで模倣できるでしょう。

しかし、自分の目の前で起こった事、ネットに書かれていないことなどは、身体がないAIには模倣ができません。

「ChatGPTでこんなことができる!」「こうすれば有効利用できる!」という情報は、SNSを通じた集合知により急激に進歩し、まとめられていくでしょう。

しかし、このAI時代の夜明けの空気は今限りです。まだ生まれたての高性能なAIに対して人々がどのように反応し、どのように使い始めて、そして慣れていくか。そのような軌跡を見られるのは今だけです。

となれば、文筆家がすべきことはChatGPTに面白い物語を書かせて作品を作ることではなく、この新しいことが始まる期待と不安の入り混じった感覚を文章に残すことではないかなと思っています。

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