読感②:『変身』
※元々10月19日の日記として書こうとしていたものを読感に仕立て上げたので、日記的な部分もありますが、主題は『変身』の読感になるのでマガジン「メモ・読感」に振り分けておきます。
今日は全く気分の上がらない日だった。曇天のくせしてやけに暑い。ところによっては雨すら降りだす始末と聞いているから、こういった日は家に引きこもっているに限る。
じゃあ引きこもっている間に片付けなければならない用事を片付けるだとか、有意義な自己投資みたいなことができたのかと言えばそんなこともなくて、一日中書籍とにらめっこして過ごしていた。それ自体は以前の自分の休日の過ごし方と大して変わらないんだけれど、今日は珍しく小説を、フランツ・カフカ『変身』を読んだ。
まあ普段の稚拙で諧謔心に欠ける割に雄弁さだけは一丁前な駄文をご一読いただければお分かりの通り、僕には文学における才覚であるとか素養であるとかそういったものが全く欠落しているし、実際文学作品を読むことはとても少ないんだけれど、『変身』に関しては前々から読みたいと思っている作品だった。
この作品を読む前の自分が持っていた『変身』に関連する知識としては、「カフカ的不条理というものがあるらしい」ということくらいだった。カフカの作品は『変身』を代表に、防ぎようのない不条理が主人公を襲い掛かるという構造であることが多いということを表す言葉が「カフカ的不条理」だが、そのことについて、僕の心はそこそこ好意的な感情を示していた。おそらくは、陰鬱とした展開は僕を大いに楽しませるだろうと、漠然とそう思っていた。
実際、『変身』は全体的に暗い雰囲気が漂っている。嬉しかった。物語は「ある朝、家族を養う一介のセールスマンであるグレゴール・ザムザが、自分が大きな虫けらになっていることに気が付いた」という最悪の出だしで始まる。さらに、虫けらになったことを自覚して3時間ほど経ったこの時のセリフに代表される彼の態度もかなり最悪だと思う。
グレゴールは自分が虫けらになってもなお「仕事に遅刻している」ということをひどく気にし、挙句出社まで考えている。しかもこれまでの間に、自分がなぜこうなってしまったのかということを考えるシーンはない。描かれているのは、グレゴールが会社に怒り、虫けらとしての運動に苦労している場面ばかりだ。
この狂気的な思考には当然背景がある。彼は老齢の親と妹を養いつつ、妹を(彼女の希望する)音楽学校へ入学させるための資金を秘かに集めていたのだ。この後一家は収入源をグレゴールに依存していたことを一因に困窮することになるのだが、とにかく彼は「稼ぎ頭」としての自分というものに憑りつかれていた。「考えてもどうにもならない」という諦観は実際あっただろうが、それにしてもグレゴールは自らの持つ義務のために自らを管理することすらままならなくなっていた。しかし、考えてみればそういったことってよくあるような気がする。少なくとも僕のような人間には、グレゴールを「狂気的」だなんだと謗る資格はないかもしれない。
変身後、しばしグレゴールは妹による被介護生活を送るが、ちょっとした諍いのためにグレゴールは母を失神させてしまい、そもそもあの虫けらが本当に息子なのかどうかを疑っていた両親も、あの虫けらは兄だと信じ生活を助けていた妹もグレゴールに対する態度を改めた。衰弱の上生きる希望すら失ったグレゴールは、失意の中で死亡する。そんな具合で、変身以後のグレゴールの一生は全く救いようがない。さらに救いようがないのが、グレゴール死後のこの部分だ。
グレゴールの死はもはや悲劇でも不幸でもなんでもなくなってしまった。ほとんどの変身物語は、いつか変身が解けるし、変身にも原因がある。悪しき者による作為、上位存在による天罰、大抵の場合、そういったアクションの起点として変身は訪れるものだ。だが『変身』にはそれがない。家族を養うべく真面目に働いていた男が、化け物に変身し、家族からの愛を失って衰弱死する。
いわゆる不条理文学というものの典型である『変身』は、考察する余地が結構多い作品らしい。なぜグレゴールは変身したのか?グレゴールが変身した「虫けら」とは何か?とかそういったことは、あんまり明言されていない。変身の理由については一切の言及がなく、「虫けら」についてもこの記述と肢がいくらか生えているということくらいしか明確な説明がない。
「虫けら」の正体はゴキブリ、ムカデ、芋虫など様々言われているが、カフカ本人はどうやらこのことに答えを設けることを嫌っていたらしい。『変身』が本になる時、扉絵作製に際してカフカは出版社の担当者に向けてこう手紙を向けた。
不条理文学というものはそういうものらしいけれど、「虫けら」の正体や変身の原因について正解はないし、必要もないと思う。日常で感じる大小さまざまな不条理が我々を『変身』の世界へと誘うのであって、グレゴールの変身はほかの数多の物語のように解決してしまってはならなかった。
僕も読んでいる最中、しばしば不登校だった時のことを想起した。客観的にはそうでなかったかもしれないけども、自覚の上では僕は化け物だったし、グレゴールが抱いていた部屋から飛び出ることへの恐怖は、まさに僕が経験したことだと思った。彼のように人を恐怖させる要素は持っていなかったから、その点においてのみ真逆だけれども。