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9月28日:芸術の秋

家に帰ってきたら、どうやらこの日が始まって半時間近く経っているらしいということを知った。お風呂に入ったのちkindleの秋季セールを見ていた。秋の夜長。夜がいくら長くなったって、そしたら僕がそうであるように夜に差し掛かったのちも働くことになるだけなのだから、やれ書を読めだと映画を観ろだと、実際問題成り立っているのか甚だ疑問だ。とにかく、好きなものが安くなっているんだからそれに越したことはない。4冊買った。

今までこんな一気に本を買ったことはなかったから、こんなことしていいのかという気持ちになりながらクリックしていた。「1-clickで今すぐ購入」なんて言われても、お金は実際に動いているわけだから何も手軽ではないと思う。というかカートに入れさせてくれないか。

僕がkindleセールを見ながら頭を悩ませていた時、突如として友達が僕の部屋を訪れた。こういうことは僕にとって日常茶飯事であるので、大した驚きはなかったが。映画を観た。今更ながら「万引き家族」を。最初の方のいいぶりと矛盾しているように思えるかもしれないが、結局このために僕は朝方まで起きていた。休日、ないし休日を控えた平日の夜にこうやって映画鑑賞や読書をするなんてのは夏でも春でも問題がない。したがって、秋の夜長という言葉がある程度ハリボテであるという主張はこの事実によっては崩れない。

反論への反論ではなくて映画の話がしたいんだった。さてこの映画であるが、面白いという言葉をこの映画に使うのはあんまり正しい気がしないし、はっきり言えば鬱屈とした気分になる映画なので面白いとか興味深いとか、そういった感情は現れなかった。映画の最後に具体的な結論を明示しないということは、一つの芸術としてそれなりの意味や意図があるんだろうけど、その素養がない僕にとっては「ハイ、では今から議論タイムです」と言われている感覚がした。映画のジャッジができるほど偉い立場でもないから、それが映画として良いのか悪いのかということの言及は控えるが、友達と観るという観点においては素晴らしい采配だったと思う。あんなものを観せられたあとには二人しておしゃべりでもしないと、場の空気は地獄のそれになってしまうだろうから。

僕らは映画を観終わった後真っ先にインターネットの大海に潜り、この映画に対する他人の反応を探した。映画好きが最も忌み嫌うそれを咎める人間はあの場所にはいなかった。家族の定義はとか、貧困問題とか、映画を観ている最中にはあんまり考えていなかったような論題が出てきて面白かった。友達がどんな感想を言ったのかあんまり覚えていないけど、その類ではなかったような気がする。

自分としては、「行きずりの同情は現実に負ける」ということを思った。人はだいたい、同情することができる。そして同情を動機に行動する。しかし、安易な同情心で実際の事情を無視して行動すると、その同情心の達成はおろか、その前に自分が持っていたものをも失いかねない。

感情移入というものをまるでしていない感想かもしれないし、「そういうことを描きたいんじゃないんだよ是枝監督は」と言われたら「すみません」と言う事しかできないけど、そういうものに見えてしまった。同情的な言い方をすれば、素朴な人間感情の現実に対する敗北。そういうものを是枝監督が描こうとしたのかと問われるとあんまりそんな気はしないし、他人の解釈を押しのけてまで主張したい解釈ではないけど、あの二時間でなんとなくそんなことを考えた。

映画を観終わって話していると、空は既に青かった。夜更かしは数えきれないほどしてきたが、この時間は未だに悲愴の念を抱く。友達が帰宅し、僕は寝た。初めに起きたのは11時だと記憶しているが、まともに起きたのは17時から。明日は7時半に家を出る。愉快だ。

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