■歴史的発見なるか?古高取焼、永満寺宅間窯の茶陶を掘り出せ!研究者も存在を知らない幻の焼き物、永満寺宅間窯産「古高取焼」の名品を古陶磁鑑定美術館が初公開!?
古陶磁鑑定の専門機関、古陶磁鑑定美術館です。
前回までのコラムで、福岡藩は黒田家の藩窯「古高取焼 永満寺宅間窯」について紹介してきました。
【前回のコラム:永満寺宅間窯とは?を読んでいない方はこちら】
今回は、いよいよコラム最終回「幻の永満寺宅間窯の伝来品」に迫ります。
調べれば調べる程、古高取の最初の窯「永満寺宅間窯」では、内ヶ磯窯に先んじて、織部好みの茶陶を生産していた可能性が高いことが分かりました。
そこで、現代まで伝わる伝承や伝来品を参考に、実際に世の中に出回っている伝世品の中から「幻の永満寺宅間窯産の古高取焼」を探ってみたいと思います!
未知なる謎に挑戦することこそ、古陶磁鑑定美術館の存在意義です。
全集中で日本国中を駆けずり回り、伝世品を探してきましたので、その成果を公開します!
【永満寺宅間窯の作風と焼け肌】
まずは、幻のお宝を掘り出すために、現代まで伝わる出土品と伝来品の情報を再確認しておきましょう。
永満寺宅間窯の作品の焼け肌は、伝承では、
①黒褐色で鉄分の多い荒土の胎土
②藁灰釉薬による掛け分けの景色
③青海鼠と呼ばれる窯変
という特徴が伝わっています。
それを基に、永満寺宅間窯産の茶道具の伝来品を確認してみましょう。
永満寺宅間窯の伝来品は非常に貴重で、インターネットで公開されている作品は、福岡市美術館の所蔵品の1点のみとなっています。
参照画像を見ると、上記伝承の各特徴がよく分かりますね。
黒色に輝く素朴な地肌に、柔らかく掛かる灰釉薬が掛け分けの景色となり、美しいコントラストになっています。
この景色は「片身替わり」と呼ばれる意匠で慶長に流行したデザインです。
また灰釉と鉄釉の掛け分けは、「朝鮮唐津」を彷彿とさせる作風です。
まさにこのような姿形こそ、永満寺宅間窯の古高取焼の面影なのでしょう。
【館長指令!幻の永満寺宅間窯の茶陶を発見せよ!】
ということで、永満寺宅間窯の作風が分かったならば、後は、世の中に出回っている伝世品の中から、「本物」を掘り出すだけです。
そうと分かれば、古陶磁鑑定美術館のお家芸「日本全国ローラー作戦」で候補作を徹底収集です!
これまで多くの名品を掘り出してきた「お宝発掘鑑定士」の本領を発揮してしまいましょう!
ということで、
約1年間に渡る地道な市場調査に励んだ結果・・・?
なんと、「永満寺宅間窯」と思われる「茶道具」を一つだけ見つけることに成功しました!
しかも、これまで確認されたことのなかった史上初の品目です!
早速、初公開します!
これが、当館認定の「永満寺宅間窯産 古高取 輪花筋花生(花入)」です。
鉄分を含んだ黒褐色の荒土の胎土に灰釉薬がたっぷりと掛かった片身替わりの景色は、まさに伝承通りの逸品です。
しかも、二種類の釉薬を掛け分けた箇所や黒褐色の地肌を良く眺めてみると、青やエメラルドグリーンに輝く模様が散りばめられています。
これぞ、永満寺宅間窯の作品の醍醐味「青海鼠」の景色でしょう。
轆轤目を活かした「筋」の文様は、慶長前期の茶会記に出現する「すじ」の表記と一致する文様です。
また、口元の輪花の意匠性は、永満寺宅間窯から出土した出土品に類例が見られます。
これらの特徴から、この作品が「永満寺宅間窯」で作られた「高取焼」と判断できます。
伝来品の永満寺宅間窯の花入は、今まで一つも実物が確認されていない、まさに世紀の新発見です!
これは、歴史が変わる国宝級の逸品と言える掘り出し物でしょう!
また改めた機会でお披露目したいと思います。
【古高取焼のまとめと朝鮮唐津の正体】
ということで、三回のコラムに渡って永満寺宅間窯と古高取焼について紹介してきました。
永満寺宅間窯時代の福岡藩主は、黒田長政です。また1604年までは、かの黒田官兵衛(如水)も健在でした。
両人共、古田織部や神谷宗湛、島井宗室などの大茶人との付き合いや、茶会の記録が残っているほど、茶の湯とは馴染み深い人物です。
これらの人物が尽力して生み出した茶陶こそ、「永満寺宅間窯」の古高取焼だったのです。
また、朝鮮唐津と呼ばれる焼き物がありますが、その特徴や時代性を踏まえれば、それはこの永満寺宅間窯の作品を表していたと想定できます。
つまり、今回発見した幻の永満寺宅間窯の花入は、従来までは「朝鮮唐津」の花入とされていたものなのでしょう。
どちらにせよ、国宝級、重要文化財級の大発見と言える名品中の名品です。
この記事をご覧になれた方はラッキーですので、どうぞ本物の景色をごゆっくりお楽しみください。