【古備前 陶印】古備前陶印、古備前窯印の時代別の見分け方や特徴を、古陶磁鑑定美術館が解説。古備前鑑定・査定のポイントとは?【古備前 窯印】
古備前焼には、「陶印」または「窯印」と呼ばれる「刻印」が付いていることがあります。
この「印」は、「陶印(とういん)」「窯印(かまじるし)」と読み、作品の作者や注文主を見分けるために刻印されたと考えられています。
備前焼は、室町時代頃から江戸時代の末期まで、「大窯」と言う共同窯で焼いていましたので、その中で作品を見分けるために「陶印・窯印」が必要だったのです。
そんな「陶印・窯印」ですが、時代や陶工の違いによって、特徴や傾向が大きく異なるため、古備前焼の鑑定をする上で、非常に有効な手掛かりになります。
そこで今回は、時代年代別での古備前焼の陶印・窯印の特徴を、実際の古備前焼の画像を使って解説していきます。
明日からの鑑定や時代判別で、即時に使えるお宝情報ですので、ぜひ最後までご覧ください。
では、早速、時代ごとの陶印・窯印を、順番に紹介していきます。
■室町~安土・桃山時代の窯印
~室町時代末期(安土・桃山時代初期)頃の「陶印・窯印」は、胴部に大きな記号のような印を彫り込んでいます。特に壺や甕などの作品には、ほとんどと言っていいほど、窯印のようなマークが彫られています。
■安土・桃山時代の窯印
安土桃山時代に入ると、「陶印・窯印」は、室町期の面影を残しつつ、小型化、装飾化、そして目立たない高台(底部)への彫印に変わっていきます。この頃から千利休が主導した侘び茶が流行します。備前焼が茶道具として使われるようになり、外見にも「美的」意識を持ち始めたのかもしれません。
■桃山~江戸初期(慶長期)の窯印(※後時代と一部重複あり)
慶長年間(1596年から1615年)は、安土・桃山時代の末期から江戸時代の初期に渡る時代で、豊臣秀吉の没年や関ヶ原合戦から、大阪夏の陣までの期間に相当します。この期の「陶印・窯印」は、後半になる程、小さく、また目立たない箇所へと押されるようになります。
■江戸初期~中期の窯印(※前時代と一部重複あり)
元和年間~寛永年間頃には、桃山時代以前の「陶印・窯印」の面影がなくなり、洗練されたデザインのような「押印」が押されるようになります。元禄期頃には、ほとんどすべての印が、判印によるものになります。
■江戸後期~末期の窯印
江戸後期~末期の「陶印・窯印」は、複雑な印影やデザインが見られ始め、彫銘なども彫刻されるようになります。単に見分けるためと言うよりも、作者が銘を入れる使い道へと意味合いが変わってきていることが分かります。
このように、実際に「古備前焼の陶印・窯印」を画像で見ただけでも、大きな違いがあることが分かるかと思います。
そうなのです。刻印されている「位置」や「大きさ」や「方法」が明らかに異なっていますね。
次は、これらの特徴を、時代別で詳しく解説します。
●陶印・窯印の特徴①:「大きさ」
時代が古いほど、単純で大きめの印で、時代が下る(新しい)ほど、複雑で小さめの印になる傾向がみられます。だいたい江戸初期(慶長期)頃から小さくなります。
●陶印・窯印の特徴②:「位置」
時代が古いほど、胴部や肩部など、目立ちやすい場所に印が入れられています。室町時代~安土・桃山時代の古備前焼の中には、複数の窯印が入った作品も見られます。これが江戸時代になると、目立たない腰部や高台(底部)に印が入れられるようになります。
●陶印・窯印の特徴③:「櫛目/箆目(彫り)・判印」
時代が古いほど、箆目や櫛目で豪快に彫っています。これが桃山時代後期から慶長期頃になると、徐々に判印が現れ始め、元禄期頃には、ほとんどが判印の陶印・窯印になっていきます。
これらが、陶印・窯印の時代別の特徴です。
もちろん例外や、陶印・窯印のない作品も多数ありますが、これだけ特徴や傾向があり、また窯元や陶工によってデザインは千差万別ですので、ぜひ作品だけでなく、「陶印・窯印」も含めて、古備前焼を愉しんで頂きたいと考えています。
ちなみに、作品よりも、「印」の方を重視してしまう数寄者もいるほど、「陶印・窯印」の世界は魅力的です(笑
あなた好みの、古備前焼の醍醐味を見つけることも、数寄の一興と言えるでしょう。
古陶磁鑑定美術館のホームページでは、安土・桃山時代から江戸時代にかけての古備前焼の名品や陶印・窯印の解説を展示しています。
貴重な機会ですので、ぜひご覧ください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?