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【茶会記に残る「備前焼」の表記】備前・伊部・古備前・新備前の呼称の違いと特徴は?安土桃山時代から江戸時代の茶会記から古備前焼を研究しよう!

安土桃山時代から江戸時代にかけて「茶の湯」が大流行しました。

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当時の茶の湯の様子は、茶人が残した「茶会記」から窺い知れます。

茶会記には、参加者や日時だけでなく、その茶会で使われた茶碗や花入や水指などの茶道具についても記載されているからです。

つまり、それらを調べれば、当時どのような道具が使われたかが判明するだけでなく、流行や様式の変遷まで分かってしまうのです。

例えば備前焼では、「備前」「伊部」「古備前」「新備前」などの表記が見られます。

これらはどれも「備前焼」の茶道具を表した表記ですが、なぜ、時代によって呼び名が異なるのでしょうか?

今回のコラムでは、その表記の不思議について、検証してみます。

古備前広口平水指 箱書 茶人 桃山時代の箱書 安土・桃山時代の古備前焼茶道具 古備前水指

1:『備前(ひせん)』という表記

・「天正期」:この期の備前焼の茶道具は、「建水」がメインでした。この期は、茶器専用で作られた特注品は貴重で、ほとんどが壺や擂鉢などの生活容器を転用した「見立て」の道具が使われた時代です。そのため、この期の茶会記に残る「備前」の表記は、伝世品では、種壺や波状文壺、擂鉢などの容器に近いものであると想定できます。

・「慶長期」:この期の備前焼茶器は、「水指」と「花入」の採用数が大きく増えるのが特徴です。いわゆる「織部様式(好み)」の意匠性が流行した時代です。この時代は、朝鮮出兵によって日本に連れ帰った陶工たちの技術を使って、国焼き(日本産)の茶道具が次々と作られました。唐津焼や織部焼や高取焼が有名ですが、備前焼もその流行に合わせて、水指や花入などの新しい器種を開発したことが分かります。そのため、この期の茶会記に残る「備前」の表記は、当時作られた織部好みの茶道具のことを表していると考えられます。

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・「寛永期~」:この期になると、遠州好みと称される瀟洒で優雅な様式が流行します。この期の器種は、慶長期に続いて「水指」が主になりますが、「花入」や「建水」なども採用されています。当時の茶会記には、「りうご」・「鞠なり」など水指の形を表す表記が残っています。

これらのことから、同じ「備前」という表記でも、その時代毎で表している器種が異なっている可能性があることが分かります。そのため、時代が下れば下るほど、「備前」という表記から、その作風や様式を判断することは非常に難しいと言えます。

しかし、その代わりに「備前」という表記以外の表現が出現しますので、それらを参考にして時代別の備前焼茶道具の様式を推測することができます。

以下では、それらを見ていきましょう。

古備前種壺 古備前壺 古備前波状文壺 古備前窯印壺

2:『伊部』という表記

「伊部」という表記は、寛永15年(1638年)に初めて見られます。具体的には、「伊部焼之獅子香爐」「伊部焼之矢筒之様掛花入(1643年)」「伊部焼之布袋之高炉(1647年)」などの表記があります。

これらの表記や時代背景から、「伊部」という呼び名は、池田光政が1632年に御細工人を定め、産業育成に注力して以降の作風であると判断できます。

いわゆる、黒紫色や紫蘇色の地肌に、鮮やかな黄胡麻が細かく降りかかる「初期伊部手」と称される様式のことでしょう。また、布袋や獅子の高炉=「細工物」がこの手によって開発されたことも伺えます。黒上がりの艶のある手は、塗り土を施すことで釉薬的な効果を狙った意匠性で、小堀遠州が指導して始められたと言われています。

伝来品では、烏帽子水指やひし形(姥口型)水指、茶入では「銘:走井、関寺」などが、「伊部」に該当する代表作になります。

ひし形水指 初期伊部手 遠州

3:『古備前』:

「古備前」という表記は、寛永後期の1637~40年頃から茶会記に現れ始めます。寛永期の茶の湯は、小堀遠州を中心とした「きれいさび」が流行していた時期です。

それに伴い、茶道具のデザインも優美なものへと変化していた時代ですから、それ以前の備前焼を「古備前」と呼び分けたのだと推測できます。すなわち、「織部時代」「利休時代」「室町期以前の作」が該当します。

主な品目は「水指」「建水」でしょう。また元禄期頃には、「古備前五角(水指)」という表記が見られます。この作風は遠州時代の「伊部」と想定できますので、元禄頃になると寛永期頃の初期伊部手の手も「古備前」と呼び分けていたことが確認できます。

という事は、江戸時代の作風の中でも、寛永期頃と元禄期頃では様式が変化している可能性が伺えます。

桃山建水 備前桃山建水 古備前建水 古備前桃山建水 古備前水こぼし 桃山備前 古備前桃山時代 桃山時代備前焼 桃山時代備前建水

4:『新備前』:

「新備前」という表記は、元禄12年(1699年)に仙台藩主伊達綱村の茶会記に出現します。

主なものは、「新備前四角(建水)」「新備前異風 松平新太郎(池田光政1609-1682)より」「新備前筒形轆轤目」「新備前耳付糸目」などです。

古陶磁鑑定美術館

注目すべき点は、「松平新太郎より」贈られた品を「新備前」と呼んでいる点です。松平新太郎は、備前藩初代藩主の池田光政のことです。そのため、「新備前」と呼ばれる作品は、光政の時代に作られた作品を示していることが分かります。

また「異国風」・「糸目耳付」などの表記からは、作品の姿形を窺い知ることができます。すなわち、江戸前期から中期頃に流行した「上手風」の優雅な作風にそれらの意匠性が多く残されていますので、いわゆる上手物・献上手などと言われる様式が、この「新備前」に該当するものと想定できます。

古備前水指古伊部水指 古陶磁鑑定美術館 古備前焼の年代鑑定 木村弥兵次 弥平次

このように、茶会記に記された「備前焼」の表記の違いに注目することで、時代別や様式別の備前焼茶道具の流行について、詳しく調べられます。

もちろん、全ての伝来品を解明できるわけではありませんが、これらの表記からは、当時実際に使われていた備前焼の姿形や好みや流行の変遷を、鮮明にイメージすることが可能です。

すなわち、安土桃山時代から江戸時代にかけての茶の湯の熱気や息吹が、物を通して伝わってくるのです。

安土桃山時代から江戸時代の茶会記と備前焼

悠久の時間を超えて、歴史を実感し、楽しめる。古美術品には、そのような魅力が詰まっています。

その中でも古備前焼は、当時の土をただ焼き締めただけの素朴な作品ですから、当時の質感や感触まで味わうことができるのです。

そんな素晴らしい歴史文化に触れられる古美術品をぜひ手に入れて、現代の生活に取り入れてみませんか?

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