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あなた

「お行儀悪いですよ…」
ほんの少しだけ怒った声
盆に倒された徳利を立てながら
片方の手で すすめ肴が出される
いつものことと呆れた顔に
小さな笑いがにじむ   
うなじには後れ毛…
台所仕事に
うっすら汗ばんでいるのが見てとれる 
炭で あぶって出された椎茸も
湯気あげて汗ばんでいる
山から訪れた客からの手土産
家主の一言で急遽七輪を出した細君
せっかくの旬を台無しにしてはならないと緊張の面持ち… 
いや主に恥をかかせてはならないという妻としてのプライド…
「さっきの酒 ちょうど良かったよ… 次はもうちょっと熱いのをおくれ…」
ぬる燗好きの主…
温度に細かい主が熱燗を所望する時は機嫌がいい……  妻は十分それを承知している
「面倒くさいものを持ってきてしまってすみません…」 客が申し訳なさそうに頭をかく
「小さいドンコさんは干していただきますね… 素敵な秋の味 ありがとうございます…」 出汁好きの妻は嬉しそうに干し椎茸で何を煮ようか考えている

料理は姑から多く習ったようだ
亭主より姑に見初められ嫁いだ家
もともと姑の書道教室に通っていて
気に入られた 男子四人を育てた姑は
一人ぐらい女の子が欲しかったに違いない
もうこの家にはいない姑の着物をこの妻は着ている 直さなくても十分着られる寸法
若作りだった姑の着物を着てもなんら違和感はないが流石に帯は渋すぎて遠慮せざるおえない…
熱燗の横に松茸が載せられた盆が出てくる これも客からの贈り物
「おもたせ どういたしましょうか…」
妻は難しい注文をされたら困ると案じている  家主が一瞬悩んだ隙間に客が「どうぞお気遣いなく… またあとで ゆっくりお召し上がりを……」助け船を差し入れる  家主はペコリと頭を下げて合掌 「明日肉でも買ってくるか…  水入らずで楽しませてもらうよ」
天井を見ながらの とぼけた声……
「あらお客さんの前でだけ お優しいこと……」乗せられて喜んでなるものかと女をのぞかせる妻…… 
徳利の口 目一杯より少し控えた縁から湯気が立つ 
「この一本あけさせてもらったら失礼します…」と しおらしい客 慌てて引き留めようとする主に客はブルブル首をふる
「あるものでごめんなさい…」と追加される肴… 松茸は北側の座敷にとりあえず仕舞って……

また一本 倒された徳利が盆の上で くるりと回る そこへ
炭の残り火で焼かれた栗が出てくる
これも客の お手持ち……
「栗は毒消しだと考えられていたらしいですよ   遠州流されているお友達が言ってました…」役目から解放された妻は少しだけ饒舌になっている
部屋は たちまち山の香りに包まれ
一口の煎茶で お開きとなる
主は そこまで送ってくるよと客と一緒に玄関を出ていく
きっと大事な相談があって来庵してこられたと 妻は察する
炭を火消し壺に納めて
台所で一息つく妻
急須に熱い湯をそそいで
二煎目……

しばらくして戻ってきた主が
「急に用意させて悪かったね… いい嫁さんだなって褒めてたよ……」と  照れ臭そうに頑張って言う
「そんなこと言って煽てて……
なにも出ませんよ…」
いつから平気で そんなこそばゆい事を言うようになったかと
妻は下から主の顔を見上げて
心で問ふ
「ついでだから 散歩にでも行かないか?」 分が悪い主は すぐさま切り返してモゴモゴ言う
「はい…     なんとなくそう仰ると思っていました…」
妻は主の そういう所が好きらしい
玄関の鍵を締め バス通りから斜めに抜けた先に小さな天神さんがある
「明日はすき焼きだな…」
撫で牛に軽くタッチする主は道真さんのことなど少しも考えていない
妻は(困った人…)と顔ゆるめながら
この人と一緒にさせてもらった感謝を
天神さまに伝えている
天神さまの拝殿には
かつて姑が奉納した書が
飾られている
賽銭をして妻が柏手を打つ頃
主は もう撫で牛の所まで戻って
妻が拝殿から降りてくるのを待っている

しきりに何をお願いしたか聞く男

にっこり微笑むだけで
答えない

撫で牛は くるりと しっぽを丸めて
二人を見ている

遠くから かすかに
電車の音が聞こえてくる

燈籠の灯りの中

二人の影ありて

………………


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#ほろ酔い文学  昭和編






 



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