『THEE MOVIE』- ミッシェルからその先へ(2/3)
個人的な追悼記事、続きから。
前回の記事では、自分が「昔から感じていたミッシェル(チバユウスケ)の魅力」を書いた。もともとブログを始めた理由のひとつにミッシェルがあったのだ。
話が一貫してないものの素直にそう主張したかった。そんな、約10年前に更新していたアルバム感想シリーズも、昔の文章なので内容は拙いけれど一応完結させておいた。
今回あらためて振り返って、やっぱりTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが好きだ。そして過去の自分は、その後のROSSOやThe Birthdayを聴いてみてもミッシェル派だったのだ。そういう昔の話はひととおり書き終えた。
そして今の自分が書き加えたいのはむしろ、ROSSOやThe Birthdayの音楽、その魅力のことだ。
そこを書き出す前に、もうひとつだけ記事を踏んでおきたい。ミッシェルの解散ライブを追ったドキュメンタリー映画『THEE MOVIE - LAST HEAVEN 031011』だ。今回はそのちょっとした感想。
『THEE MOVIE』感想
あるバンドがその日放っていた空気感を納め、そこに至るまでの道のりを最小限で提示しつつ、実際のライブ映像を扱うことにも真摯な、理想的なライブ・ドキュメンタリーフィルムだった。
「そこにいた。」
この言葉を軸に映像は進んでいく。
「いつのミッシェルが一番ライブバンドとして凄かったか?」はかなり議論が分かれるところだろう。それを語るだけで記事がひとつみっつ吹き飛んでしまう。でも、この映画に収められた彼らをベストに挙げるひとはいるだろうか。あまりに色んな意味を抱えていてそもそもマトモに観れないが、最終公演の模様はこのバンドのピークではないと思う。なんだか言葉を濁すようになったけど、あらためて観て、普通に最強である。ミッシェルのピークかは分からないが、巨大な、最強のロックバンドが映っていることは間違いない。「ブラックタンバリン」「カルチャー」の演奏には、熱、風が確かに宿っている。
そこからライブの模様は一度途切れ、あどけない初期のメンバー映像が差し込まれる。色褪せないが、褪せた情感の景色だ。2024年の今ではあまりに感じ入るものが多い。すこし泣いてしまった。初期の彼らは、急な人気拡大に困惑しつつも、まだその追い風を楽しんでいる。
そこから乾いていったものを映すように、『ブギー』『赤毛のケリー』と進んでいく構成。
次に映る過去はフジロックだ。あまりの観客のボルテージに、演奏を何度も中断される例のシーン。さらに、ライブハウスの電球が落ちてステージを急遽終えることになるシーンが続く。「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」というロックバンドが、本人たちにも制御不能なまでに膨れ上がってきていることを感じさせる編集だ。狂騒はエレクトリックサーカスになってしまった。それでも「その先へ行く」とメジャーコードで締めてはみせる。
ラスト『世界の終わり』。この映像をもう何回みたのか。弦が切れてしまうアベ、最後の最後に声が枯れ、クソ喰らえというようにギターに腕を振り下ろし「待ち焦がれている」と言い放つチバ。あまりに出来すぎている。音以外の何かが宿っていると感じずにはいられない、あるバンドの果てが捉えられた劇的な名シーンだ。
「GIRL FRIEND」
そして、エンディングの「GIRL FRIEND」。シングル版。昔、この曲が明確に嫌いだった。だってどう聴いてもチバソロか何かだ。ミッシェルらしさを感じづらいし、曲としてもポップソングではない。
だけど2024年の今、チバの追悼として観る今、本当に飲み込まれるように圧巻だった。この「GIRL FRIEND」を聴いて、感傷よりも、「凄かったんだ」と、なんだか昇華された思いになった。いつもなら"~が~で感動する"とか書きだすところだが、声がすべてを語っていて一切何もつけ足す気にならない。レコーディングエンジニアとしてこの曲に携わっていたら、録りで全身に鳥肌が立っていただろう。本当にすごいボーカリストだった。
当時のインタビュー(GbM 2003年7月号)では「なんか歌あってもいいのかなーと思いついてしまって」なんて軽く言い放たれているけど、初期では考えられない曲調と歌詞だし、変遷……もう戻れないところまで歩いてきた道程を感じる。チバの思考がなだらかに変わっていっていたのは明らかだ。下記『別冊 音楽と人』を読めばよく分かる(あまり踏みこまれたり、真正面から答えたくはなさそうだけど)。
ROSSOにはこの乾いた叫びの空気が引き継がれている。The Birthdayでも歌っていることは一貫していたと思う。ミュージシャン・チバユウスケとしての「その先」の道が「GIRL FRIEND」から引かれている気がする。
末尾
エンドロールで「アベフトシに捧げる」と文字が浮かぶ。公開から約15年、もう捧げるべき相手が増えてしまった。複雑な思いが脳裏に渦巻かざるをえない。
個人的に想起するのが、時を近くしてボーカリストを失ってしまったBUCK-TICKの今井寿さんがファンに残したコメントである。
受け止めるまでには人それぞれの時間、方法があるだろうけど、結局はここに尽きるのかなと思う。いなくなったことより、生きていたということ。存在していたことを大事にする……。
最初に戻ろう。この映画のメッセージはこうだった。
「そこにいた。」
そもそも後追いたる自分は、ミッシェルの全てにリアルタイムで立ち会えていない。そういうファンも今は多いだろう。だけどそんな立場の自分から、「今もいる。」とそう言い返したい。確かに在った。この映像作品はそれを伝えている。そして在ったものはこれからも伝え続けられる。いろんな映像や音源、個々人の思い出の中、そうしたすべて過去形の中から、これからも進行形で在り続けていける。
僕らも「その先へ」残していくことが出来るのだ。
そしてそんな大事な存在はミッシェルだけじゃない。
話はROSSO、The Birthdayへと進む。
次回が最終回です。
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