パタヤ・バンコク一人旅①
齢44歳にして初めての海外旅行に行くことができた私おくやんでしたが、その年の9月にはまた、タイの地を踏んでいました。
しかも、一人で。
はじめて行った、バンコク・カンチャナブリが衝撃的過ぎたのか、楽しい思いでしかなく、もう一度自分だけで確かめてみたくなってしまたんですよね。
職場の人数がまだ居たころだったので、現在では無理ですが、6泊7日で旅行に行かせて頂きました。
タイに誘ってくれた同僚のRさんにアドバイスを何度かしてもらって、念入りに計画を立て実行したわけです。
これが、楽しすぎた。
英語も話せない奴が、海外に行くなんてと思っていた私の固定概念を消し飛ばしてくれた旅行でした。
そんな人生を変えてくれた旅行を紹介していこうかと思います。
以前、ブログに書いていたものをリライトしてみます。多少言葉が重なる部分があると思いますがご容赦願います。
羽田国際空港は秋の装い
9月8日~15日夕方まで、実際にタイのパタヤとバンコクに行って参りました。
自分で計画してタイを独りで旅しよう!…と思いったって5ヵ月。
計画を立ててどこへ行くか、何をするか考えているのが結構楽しくて、
思ったより時間が経つのが早かった感じでした。
向こうに行っても、言葉もわからないので2~3日でホテル籠りで後は移動だけなのかな?等と不安にも思い始めてました。
そんなこんなで、あっという間に当日になりました。
会社は残業なしで早く終わったため、会社から直で空港ではなく、少し休んでから自宅から出発できました。
旅行前最後の家で夕飯を少し食べていきました。メンチカツカレーをいつもの3分の1ぐらいで噛みしめておきます。
21時45分に羽田空港国際線ターミナルに到着したのですが、気合い入れすぎていたため出発の3時間前に着いてました。
何かあったら嫌なので早く来てしまったのもあるのです。
折角早く来たので、そこから観光気分で楽しみますかと気分を変えました。
とりあえずぶらぶらして写真撮ってみることに。秋の羽田国際空港はもみじが真っ赤に色づいていました。造花ですけど。
日本最後の飯は六厘舎のつけ麺
結局、間が持たず搭乗手続きをしてからゆっくりすることにしました。
いろいろ終わらせて、パタヤで働いている会社の大先輩へのお土産と現地の人が喜ぶお菓子を免税店にて購入して、荷物がいっぱいになってしまいました。
買ったものは先輩に赤霧島、現地の人には抹茶キットカット・夕張メロンキットカットです。Rさんより聞いた情報で当時はやっていたそうです。
大体やり尽して23時です。
なんかもっとがっつり食って来ればよかった・・・やっと落ち着いたので腹が再度空いてきしまいました。
六厘舎のつけ麺がロビー内で売っていたので購入しました。日本最後の食事はこいつで決定です。
さらば日本また6日後
何撮ってるのかよくわからないですが、取りあえず機内から出発最後の写真を撮っておきました。
実のところ、ちょっとビビッていました。前回も多少は緊張していましたが、今回ほどではなかったです。
飛行機の墜落もあれば、現地での事件に巻き込まれたり、ひったくりや詐欺にあったりとかさまざまな不安が頭の中に計画した時からあったのです。
ふと「これが最後かも」と言うことが、脳裏によぎっていたところでした。
…杞憂でしたけどね。
食い過ぎな状態で、あと十分でJAL033便に搭乗するという時に、搭乗口のインフォメーションカウンターでパニック起こしてるラテン系の女性がいました。
何語か分からないですが、大声で職員に何か言ってます。そして泣き出した。
電話し始めたけど相手は出ないみたいです。遂にはカウンターの机に頭を抱えて嗚咽してます。どうやら、前の便に乗り遅れたぽいです。
同情してしまいますが、私の知識不足でどうにも助言できないので声もかけれませんでした。明日は我が身です。注意して行こうと思いました。
クラブ会員・ファーストクラス・ビジネスクラスの人から搭乗開始します。
そして私達、エコノミークラスも搭乗開始です。もちろん後ろの席の人から
搭乗していくので真ん中ぐらいの席の自分も、ちょっと遅れたから搭乗出来ました。
定刻日本出発。窓際に予約したので外が見えてさっきまでのテンションが大幅にアップしました。
横には、物静かな日本人女性が来たので前回のようにタイのお姉さまではないので思わず「ラッキー!」と更にテンションアップしてしましました。
でも、オッサンいびきするので、万が一でもしないように起きていようと暗い中 i パットで旅行ガイド本を見ていたのですが…
疲れで寝てしまいました。多分うるさかったでしょうね。ごめんなさい。
「さらば日本。6日後には無事に帰ってきます。」
パタヤ・バンコク一人旅②へつづく
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