40才を過ぎて怒ってもらえることはありがたいことだと思った。
一時期、諸々の事情で会社の仕事に身が入らず、同じミスと繰り返し行ってしまったことがありました。集中力も欠けていたのでしょうね。
工場にはすごく迷惑をかけてしまいましたが、その時怒られて「自分はこんなんじゃない!」と思わせて頂いたことに感謝です。
30才を過ぎたときから「文句」は言われるが「怒られる」ことはなくなった気がする。
受け止め方もあると思いますが、仕事上の不平不満からくる「文句」は数限りなく言われています。社会人的ダメ出し的な「怒られる」は、20代まででそれ以降は職場が変わって新しいことをやるようになって、その職場で「新人」になっていたとしてもなくなったような気がしています。
そんな状況が普通になって15年ぐらいったったその日までは「怒られて」いたことに気が付かなかったのかもしれません。
只々「不幸」だと思っていた自分。
私は、現職に32才の時に移動しました。
その前にいたところは「研究所」と名前につく職場で、素材研究をする部門では働いていました。研究補助ではありましたが、学生時代から携わっていた学問「化学」を扱える職で天職だと思っていました。
移動理由は、会社が合併して研究部門が縮小した上に、外部委託になるので本体へ何人かを戻すことになっていました。
私は、個人的理由で憂さ晴らしのために夜遊びを毎日のようにしていて散財がひどく、今貰っている給料では苦しいので率先して移動を希望しました。
まだ体力と記憶力には自信があったから「どんな仕事でもできる」無駄な自信がありました。
まったく職種の違う「工程管理」に変わってからは、自分でものを作らずに材料供給と作業依頼と言う「人任せ」に仕事が変わったのが、自分でものづくりしていた人間からしたら全く違う概念でした。
それと同時に、体調を崩し、長年吸っていたタバコのやめたおかげで気持ちの余裕がなくなっていき、「不幸」だと思い始めていました。
仕事に集中できず、本気で「怒られた」
そんな中、度々仕事依頼の出し忘れや、細かいミスが増えても、
「自分にはこの仕事が向いていないのだから誰かに変わってもらいたい」
と仕事を放棄したいと思うようになっていました。
そんな中、仕事依頼の出し忘れを意図しないで3回やってしまったときに、
工場のリーダーから「お前らにはちょっとしたことでも、作業依頼を見てやっている俺たちにとってこのミスは見過ごせない。いい加減にしろ!」
と怒られ、はっと気づきました。
自分が20代の時に研究依頼を出してくる「研究員」に同じことを言っていました。
「怒ってくれた」ことに感謝しています。
結果的に何も起きていなかったのですが、そのことを大々的に工場に流してくれたので、事象だけが浸透していきました。
実際、現在まで現職を続けてこれたのもその一言が大きいと思います。
私のミスは格段に減りました。気持ちの引き締めもできましたし、新しいことをする気力も湧いてきました。
相手のことを立ち直らせるという手段はこういう「怒る」ということも必要なんだと思います。40代に入ってから貴重な経験だったと思います。
昨今はパワハラと言われてしまいがちです。
受け側の適正を見て「怒る」ことが重要なんだなと思いました。
今の若者には届くのでしょうか?