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四十九日
あっ、という間に2ヶ月が経ってしまったのだが、親父が他界した。
平均寿命はどれぐらいになったのかは定かではないが84歳で。
アントニオ猪木さんや安倍晋三さんよりは長生きだった。
息子としては、最後はため息つて眠るように亡くなったので大往生だとは思っている。
親不孝だとは思うが、今まで苦しかったのだろうからこれからはゆっくりしてほしい。と思う。
なんとも早い7週間
我が親族の中では自分が思っていたより親父の影響力があったみたいだ。
生活を続けないといけないと思うようにしている母は、時たま固まっているときがある。
仕方がないのだけど、思いにふける姿は痛々しい。
コロナ禍ということで近くに住んでいる弟家族が「実家に飯を食いに来る」ことが再開され母も忙しそうだ。
「急に言ってくるんだも何もないよ!」まあそうでしょうよ。
会社から帰ってくると弟と甥っ子が今日もいる。
先月より空けていた、テレビに一番近い席に弟が陣取っている。
親父の変わりは自分が埋めると言っているようだ。
甥っ子はいつもとあまり変わらないように見えるが、ばあちゃんのことが気になるらしい。
こいつは、若い時の私に似ているのでたまにちょっと脅す。
「将来はこんな風になるんだぞ!」と頭とお腹をたたくと真剣に落胆する。面白い子だ。
ここ5週間こんな感じで、なんとか過ごしてきたが今週末に四十九日法要がある。ひと段落付く感じにしたいが気持ちの整理はまだまだなんだという感じだ。
ちなみに本来なら今月第2週目の金曜日が法要の日になるのだが、一番下の弟のために早めることにした。
親父と同じ血液型で家族思いの末っ子は、今土浦に家庭を持っている。
兄貴たちとは出来が違うので親父も可愛がっていた。
末弟は息子の英検の試験日が重なっているので早めにできないかと相談してきたので、暇な兄は快諾した。合わせられるしね。
あんだけ内弁慶のわがまま親父のために集まる兄弟たちを見ると、いろいろな面で頼られていたのだなと思えた。
重荷だと思っていたものは…
毎年恒例行事で長野県の小布施へシャインマスカットとナガノパープルを買いつけにバイヤーのように行っている。
今年は親父の他界により、自分は参加を控えた。
ただ、休みは取れていたので疲れている母を強制的に連れていくことにした。日帰りで小布施までドライブをしに。
車の中では思いの外テンションを上げてきている母。
親父の指定席だった助手席で、3人で行った旅行の話をし始める。
山での話や弟の家に行った時の話などを止まらず話す。
ひたち海浜公園へ「コキア」を見に行った時に、足が弱っていた親父が車に残っているから勝手にみてこい!と怒鳴っていたこともあった。
もちろん、社内放置もできないので、車いすを借りて連れまわしたが、お尻が痛いといいだして…のくだりのところで母は急に黙る。
運転に集中することにして沈黙が続くが、横川のサービスエリアが見えてきたので休憩がてら釜めしを食べる。
そのあと小布施→善光寺→帰宅と淡々とこなすが、時折物足りなさを感じている自分がいた。
親父がいると、日帰りの旅行が3泊4日の旅行のように疲れた。
わがままだったのもあるが、車の中での母との口喧嘩がたえなかった。
「出発が遅れたのは、グダグダしてるからだ」と母をののしる親父。
「しょうがないでしょ!洗濯してかないと明日の着るものがなくなっちゃうんだから!!」くだらない返しが、だるく思っていた。
今回の旅行では「重荷」と思っていたその掛け合いがない。
もう2度とないと思うと寂しく思えた。
落ち着いたわけではないが…
49日法要が終われば落ち着くとは言われているが、結局何も変わっていないような気もする。
自分は半世紀も生きたので、「葬儀」も結構出たりした。
実際に自分の親の葬式は初めてで、あと一回あるかどうかなので慣れないし落ち着かない。
割り切っていくしかないが、時間が解決してくれてはいるので、いろいろ再開することにします。
手始めにnote
Webライティングもちょっとやり始めたので頑張ってみる。
ということで。