彼と彼女のCurryな日常
彼にカレーについて語り合える女友達ができた
彼女は彼の同業者で旧知の間柄なのだが彼女の食生活的嗜好は全く知らず、
その話題について語ったこともなかった
もったいないことしたよねと、会うと二人で笑う
知ってたら、たくさん楽しい話できたのに。。。。
そう。彼と彼女の食嗜好の方向性は非常に似ていて、殊、スパイスカレーについてはほぼ同じ温度で語り合えた。
ナンじゃないよね、米だよ米!
彼は自他ともに認めるカレージャンキー
彼女は毎日テンパリングするスパイスマニアだった
彼について話そう
彼がカレー作りに興味を持ったのは学生時代だと記憶している
幼少期から母親に舌が良いと褒められることが多かった彼は料理に興味があった
村上春樹がエッセーの中でチャチャっとトマトソースのパスタを作るのに憧れ、グッチ裕三が産み出す絶品具なし焼きそばの味を求めた彼は日常的にカレーを作りたいと思っていた。
スーパーで売っているカレールウはスパイスの集合体であると知った頃から、スパイスからカレーを作ってみたいと思い立ち、スパイスを潰す臼型のミルを欲しがっていた。
でもね、一人暮らしの学生だった頃は溢れるほど時間があったのに、スパイスからカレーなんて作ることはなかった
もっぱら薄味の鶏肉の肉じゃが(母親直伝の)作って満足したり、前述の村上春樹やグッチ裕三の真似をするのが関の山だった
形から入りがちな彼は、スパイスミルを買ったら作ろうを言い訳になかなか作ろうともしなかったのだろうね
なぜカレー、スパイスカレー好きなのか
そのきっかけは正直よくわからない。
大学の7回生の先輩(THE 60's ヒッピーな出立ちのネパールマニア先輩)の影響はあるだろう
はたまた子どもの頃家にあったインドカレーキットの影響もあったのかもしれない
ここ最近になって、突然思い出したようにカレーを作り始めたのは稲田俊輔氏や印度カリー子氏の影響が大きいだろう
稲田氏やカリー子氏について語り始めるとページが足りないので省くが、上記の稲田氏のリンクは最終更新が2015年の古いBlogを貼っておく。のちに書籍化される、サイゼリアの考察に代表される一連のファミレス論は一読の価値がある。
彼女について語る
彼女は旦那さんと二人暮らし
日本人のアイデンティティとも言えるジャポニカ米を好まない
噛めば噛むほど甘くなるのも好きじゃないし、
何しろカレーに合わないと、口癖の様に言う
(ここでいうカレーとはサラサラした食感のスパイスカレーのことだ)
彼女はジャスミンライスをこよなく愛している
「うるち米なんてさ、あんなにねっとりした米!
日本からなくなってもいい」
「私、隙あらばテンパっちゃうのよね、昨日の味噌汁も今朝テンパっちゃった」
「どうして私は、日本に産まれ落ちたのだろう?」
彼女の口から溢れ出る名言、迷言は枚挙に暇がない
テンパるとは当然テンパリングをすることの彼女一流の言い回しだ
彼女の旦那さんにはお会いしたことがないが
カレーを作るスパイスの匂いを嗅ぐたびに
「おっ、今日も家に印度人が来ているな」と喜ぶらしい
その後の彼女の笑顔を想像すると非常に微笑ましい光景だ。
話を聞くと彼女の家では前日作った料理は、それが肉じゃがであろうが、はたまた湯豆腐であっても翌日にはほぼスパイス油を纏った南アジア風料理に変身を遂げるらしい
それは彼女が息を吐くよりもテンパリングが好きだからだ。
そして旨い旨いが飛び交う旦那さんとの食卓、羨ましい (注釈1) 限りだ
彼と彼女は会うたびに何がしか作った話や、食べた話が尽きない
ほぼカレートーク、たまにアジア料理全般トークをする
彼女が彼のことを
「単なるカリー子ちゃんのファンじゃん!」
と笑えば彼は彼女を
「常に油に塗れた女」と揶揄する
彼が南インド式サンバルカレー(SAMBAR)とインドネシアの辛味調味料サンバル(SAMBAL)を混同している話で笑ったり
彼が最近し始めたタコス作りや彼女の隣人たちとのカレーパーティの話、などなど。
彼と彼女の家は決して遠く離れているわけではない
電車で2回ほどの乗り換えで行けるのだが近距離ではないので生活圏は全く異なっている
お互いが行ったことのない未知の店の話をするのは新鮮だ
やっぱりカレーは南(インド🇮🇳)だよね、
北(インド🇮🇳)じゃない、とか
どこそこの店がいいとか、
あそこのお取り寄せはイマイチとか、
どこでスパイス買ってるとか、
トルコ料理がどうだとか
こんなお店紹介してくれるブロガーをフォローしてるよとか
そんな話で二人笑い合うものの、お互いの生活環境の違いから
二人で食事したことは一度もない
まとめではないものの
彼は最近、稲田俊輔さんの近著、「キッチンが呼んでる!」を読んだらしい
その本の中に出てくるパスタ男 (注釈2) の一節に軽いショックを受けた
彼は外食先で批評を口にするタイプではないのだが
彼女との会話の中ではその傾向があるのかもしれない
趣味で作る料理の気楽なところは味の再現性を求められない事にあると思う。再び同じ料理を作る時に必ずしも同じ味にならなくても許される。
彼はいつも適当に気楽に料理を作ってきた。
人に食べさせることもあるからある程度のクオリティは必要だが、家族だからいいやと、手を抜いたりする。手を抜くポイントは薄切りの精度だったり調理時間の長さだったり。
自由に料理を作って楽しめるって楽しいな。
改めて思う、感謝の気持ちを忘れてはいけない。
彼はキッチンに呼ばれているわけではないんだ。
彼はキッチンに居候しているだけだ。
キッチンはあくまでも奥様のものだと思っている
だからやっぱり感謝を忘れてはいけない
キッチンに立ちたがる旦那を許容してくれる奥様に、
自分の世界を更に広げてくれた彼女に、そして愛すべき食材たちに。
さぁ今日は何作ろうかな?