3歳の息子と私が乗り越えたもの
今月で息子が4歳になりました。
3歳は息子にとっても私にとっても、試練の1年であったなと感じています。
なぜなら、3歳後半は息子の内面の成長が著しく、息子自身も親の私も戸惑い、もがき悩んだ日々だったからです。
3歳息子の育児がどんなだったか、きっと近い将来すっかり忘れてしまいそうなので、思い出としてここに残したいと思います。
泣き叫ぶ息子と途方に暮れる私
息子が3歳6ヶ月頃、ちょぅど妹が生まれた時期とも重なりますが、こだわりのルーチンが崩れたり、欲望が満たされないと、手に負えないほど泣き叫ぶようになりました。
ビー玉のようにキラキラした瞳と屈託のない笑顔は消え、いつも怒っているか泣いているか、無表情。
保育園にも行きたがらなくなり、入口で駄々をこね、見かねた園長先生に抱き上げられ強制的に連れて行ってもらうこともありました。くもんでも同様。
そんな息子の変化に、私は戸惑い、どう接したらいいか分からず、怒ったり、お菓子をあげたり、テレビを見せたり、ダメだと分かっていてもその場をやり過ごしたい一心で、とにかくブレブレな対応をしていました。
どうしたらいいのか糸口が掴めず、泣きました。
『ちゃんと泣ける子に育てよう』に出会う
藁にもすがる思いで、何冊もの育児書や心理学の本を読みました。
その中で、息子の置かれた状況や親の対応について理解でき、実践につなげられた書籍が『ちゃんと泣ける子に育てよう』でした。
この本を通して、今息子が置かれている状況と、私たち親がどう関わっていけばいいのかを知ることができました。
まず衝撃だったことは、
親には感情を育てる義務がある。
と書かれていたことでした。
それまで私が思っていた子育てとは、安全安心な環境で子どもの好奇心ややり抜く力を育て、自分で考え行動できるような人物に育てる、ということでした。その成長過程で、自然に感情がついてくる、育ってくる、と思っていたため、『感情を育てる』という視点は全くなかったのです。
感情を育てることは『感情を社会化』することであるそうです。感情の社会化とは、すなわち身体感覚としての感情を言葉と結びつけ、他者に伝えられるようになることで、その過程をサポートすることが親の役割だと著者は言っています。
悲しみ・悔しさ・憎しみ・不安・恐怖といった感情を抱くことは生理現象で、身体症状となって表出されますが、子どもは何故こんなエネルギーが湧き出てきてくるのか、自分をぐちゃぐちゃにするこの内から湧き出る『何か』が分からず、その結果として「泣く」のです。
子どもが泣いている時、それは子どもが危機を感じているとき。
そんな時に親がとる行動は、ひとつ!
子どもを抱きしめる
泣き叫ばれた時、息子と物理的に距離をとろうとすることさえあったので、「抱きしめる」というのは驚きでした。
危機的な状況のなかで抱きしめられることで、子どもは安心し、自分が安全な環境にいると認識できるそうです。そして、今、心と身体を支配しているエネルギーが一体何であるのかラベリングしていくことで、感情といいものを獲得し、徐々にコントロールできるようになっていくとのことでした。
泣いているとついつい「泣くのをやめなさい」と言ってしまっていましたが、泣くことは子どもにとって生理現象。例えばおしっこを我慢すると病気になってしまうように、泣くことも我慢しないほうがよいのだそうです。
子どもの感情を受けとめる、抱きしめることは、とてもとても忍耐のいる関わりだなと思っていたところ、さらに、これもまた私にとっては衝撃的な一節がありました。
親になる覚悟というのは、親が親自身の感情よりも、子ども自身の感情に目を向けて大事にする覚悟を決めることでもあるのです。(本文より抜粋)
これを読んで、あぁ私はいつもどこかで自分優先にしていたな、と反省しました。
泣かないで欲しいのは、自分が不快な思いをしたくないから。怒るのは、子どもが思い通りに動いてくれず自分がイライラするから。そして、なだめたり、泣きやませようとすることに時間も体力も奪われて、自分の時間が減ることが一番嫌でした。それが火に油を注ぐような関わり方となり、悪循環のループから抜け出せなくなってしまっていたのです。
泣いたり怒ったりしている子どもの気持ちはほとんど考えていませんでした。
いざ実践、そして変わったこと
この本を読み終え、息子との関わり方を意識的に変えることができました。
というよりも、息子との関わり方を俯瞰してみることができるようになった、と言ったほうが感覚的に合っているかもしれません。
「もっとテレビを見たい!」と泣き叫んだ時、泣いている息子を抱きしめる。抱きしめると安心していつか泣きやむことを知っているから、私自身もこういった状況を安心して受け止められるようになりました。
そして「テレビもっと見たかったね、おもしろいもんね。もっと見たかったのに悲しかったね。お母さんのお話聞いてくれてありがとう。」と伝えるようにしました。
泣いて暴れる息子を捕獲しては、ぎゅーっと抱きしめる。
時にはジタバタ動かす足で蹴りを喰らうこともありましたが、負けじと抱きしめる。
抱きしめられることが嫌だ!と泣き叫ぶときは、少し遠目から様子を伺い、落ち着いたタイミングで抱きしめる。
とにかく、繰り返し繰り返し実践。
そうしたら、不思議なことに、徐々に以前の息子のように少しずつ笑顔が戻ってきました。
そして半年くらいたった今は「〜だったから悲しい」と伝えてくれることもあります。
ある程度自分の中で「悲しい」「悔しい」など、感情を表現できるようにになってからは、反対に感情の押し付けになってしまわないように「どんな気持ち?」と聞くようにしています。分からなそうな時は、一緒に考えたりしています。
もちろん、上手くいかないこともまだまだあります。
下の娘がギャー!と泣いているときに、息子が「ギャー!」となると、冷静さを欠くこともしばしば…。
時間がないのに「おさるのジョージ見たい!」と喚き出すと、イライラを前面に出してしまうことも…。
まだまだ修行が足りません。
親の心の余白が大切
そして、ここからは私の経験から得た考えですが、親が忍耐を以って、親自身の感情を抑えて、子どもと関わるには『親の心の余白』が必要不可欠です!!
親はある意味で自分を押し殺しているわけなので、どこかで息抜きが必要ですし、常に状況を俯瞰できる身軽さを備えるためには、心身の疲労を貯めないことも大切だと思いました。
今回、幸い育休中だったので、私も少し余裕があり、息子との関係や自分自身を見つめ直したり、受けとめる余力がありました。
これ、育休中じゃなかったらどうなってしただろう…と思います。
来月から私は復職します。
仕事はとにかく激務で、これまで心身ともに究極の疲労に苛まれた経験が何度もあります。
仕事で自分が潰れて子どもの心の成長に悪影響を与える、起こり得そうなので怖いです。
常に余白を持てるよう、まずは私自身が感情のコントロールをもっと上手くならなければなぁ、と思っています。
そのためには『自分の機嫌は自分でとる』!
この言葉の重みを最近になって理解できました。
3歳、特に後半の半年間は、息子につらい思いをさせた部分もありましたが、悩んだ分だけ少し息子に寄り添えた気がします。
私自身が親として成長させてもらった半年間でした。
まだまだ子も親も不安定なところはありますが、できるだけ家族みんなが笑顔でハッピーに生きていけるように、前を向いて成長していきたいです。
心が折れかけたら、自分自身でこのnoteを振り返りたいと思います。