中身のないことを言い続けるとヤバい
こんにちは。鎌田です。
突然ですが、まずはこちらの記事をご覧ください。
…いかがでしょうか?
こちらは、私が先日投稿した記事です。
ご覧いただければお分かりかと思いますが、こちらの記事はあまりにも中身がありません。
詳しくは後述しますが、中身のないことばかり言っているとおしまい人間になってしまいかねないため、自身に注意喚起をする必要があると考えました。
なので今回は、中身のない文章を書いてしまった反省をする会、縮めて反省会を開くことにします。
中身のないことを言い続けるとヤバい
ということで、自戒の意味も込めて「何故中身のないことを言い続けるとヤバいのか」という話をします。
まず、中身のないことを言い続けるとヤバい理由について、大雑把に大別してみました。
①努力しなくてもある程度できる
②評価が他者に依存する
③中身のない自己を肯定してしまう
以上の3点です。
それぞれ説明していきますね。
①努力しなくてもある程度できる
まずはこれ。
中身のないことって、ぶっちゃけ誰でも言えちゃうんですよね。整合性とか意義とか、一切気にしなくていいので。
例えばこんな文章。
(鎌田のTwitter下書きから抜粋)
…どうでしょう?
「何なんだこれ」と思われたのではないでしょうか?
このように、中身のないことを言うには知識も経験も特に必要ありません。
そのため、今まで何もしてこなかった人でもある程度はできてしまいます。
そんなだから、例えば「勉強を頑張って一流大学に入学した」とか、「体を鍛えて筋骨隆々になった」みたいな分かりやすい価値を持ち合わせていない人は、ワンチャン賭けて中身のない話をし始めるわけです。不健全ですね。
②評価が他者に依存する
中身のないことを言い続けるヤバさ、2つ目は「評価が他者に依存する」です。
評価?他者??依存???
何が言いたいのかよく分かりませんね。
また具体例を挙げて説明していきましょう。
例えば、「勉強を頑張った」のであれば「一流大学に合格する」「成績が上がる」という形でその努力が評価されます。
同様に「体を鍛えた」のであれば「筋肉が増える」「より負荷のかかるトレーニングをこなせるようになる」といった形で努力を評価することができますね。
このように、健全な取り組みは主観的にも客観的にも努力を評価することができます。
では、「中身のないことを言う」はどのように評価されるでしょうか。
一番分かりやすい評価基準は「たくさん反応をもらう」ですね。noteならスキをつけてもらったりフォローしてもらったりすれば、「私の努力が報われている〜!」って感じがすると思います。
しかし、このような判断基準は非常に不安定と言えるでしょう。
何故なら、評価が完全に他者の反応だけで決定されてしまうからです。
極端な話、自分にとってすごい価値のある文章を書いても他者が一切興味を示さなければ、その価値はなくなってしまいます。
逆に言えば、どんなに質の低い駄文を書こうが身内に認めてさえもらえれば、それだけで価値があるように錯覚してしまうのです。
つまり、努力が正当に評価されないんですね。
③中身のない自己を肯定してしまう
3つ目は、1つ目と2つ目の問題から二次的に発生する問題です。
「①努力しなくてもある程度できる」「②評価が他者に依存する」この2つが合わさるとどうなるか。
「今まで何もしてこなかったような人でも書けてしまう文章が、その努力の量に関係なく不当に評価されてしまう」という事態が発生します。
そして更に。
「努力せずに評価を受けた」ということは、「努力していない自分が肯定された」ということになります。
努力せずに肯定されるほど気持ちいいこともないですよね。一度この快楽に触れたら、後はずっとモルヒネ打たれたお猿さんみたいに同じことを繰り返すだけです。
そうして出来上がるのが、他者の肯定なしには生きられないおしまい人間というわけですね。
まとめ
以上が、中身のないことを言い続けるとヤバいと考えられる理由になります。
自分がおしまいになるだけでなく、他者にまで迷惑をかけかねないなんて恐ろしいですね。
(ちなみに「中身のない話をしても仕方ない」というのはカウンセラーさんにも言われたことなので、この感覚は恐らく間違ってはいないはず)
ということで、今後はできる限り中身のある話をしていきたいと思います。
もし私が中身のないことを言っていたら、その時はたくさん暴力を振るってください。
奮ってご参加ください ってね!
それではまた次回。
ご清覧ありがとうございました🌶
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