AIが学習できない音楽とはなんだろう?
作曲家がAIとはっきりとした境界線を引くことのできる差別化とはどんなものか
そんなことをぼんやり考える
わざわざAIという言葉を持ち出さずとも、すでに自動作曲なんてものはあるわけだし、12音技法やさらにそれを追求したトータルセリエリズムなんて人間がやるよりも厳密化できる
ジョン・ケージの4分33秒によって能動的に音を聴き取ることが提示され、サウンドスケープなど自然音を能動的に聴き取ることが体系化されてきた
「能動的に音を聴き取る」という聴取概念について語られる事が多いが、本当の歴史的価値は「音楽と意識されないものを音楽と意識する事」にある
そして、音楽と意識されないものを音楽としてシステム化しAIに学習させること、現段階でこれが一番難しい事のように思う
音程や音価、コードはそもそもシステマチックなものなのでAIと相性がいいし、音楽はテクノロジーの進化と共に歩んできたのでもはやテクノロジーの進歩に音楽は組み込まれている
それはすべて西洋音楽によって確立された音楽理論に依拠している概念にすぎない
あらゆる音現象を音楽とした時にどのようにシステム化するべきか
これは非常に難しい
また、西洋音楽では切り捨てられてきたノイズという概念
例えば、楽器を演奏する際に必ず生じるノイズ音
笛であれば息の音や穴を指で塞ぐ際に出てしまう音、これらは西洋音楽ではないものとしてきた
しかし、日本の音楽においてはそういったものも音楽における必要な音要素として扱われてきた
たぶん、他の民族音楽においてもそうだろうと思う
度々言っていることではあるが、機械のような完璧な演奏や音楽を目指すのが20世紀までの音楽のあり方であったとしたら、それが可能になってしまった今、ヒューマンエラーこそが人間らしさとなる
そして、それこそAIと差異を付けられることであろう
「バッハに帰れ!」ではないが今こそ「民族音楽に帰れ!」と唱えたい
まぁ、別にそこまで躍起になることでもないのだが、僕としてはここに向き合いたい
もう300年くらい西洋音楽をベースとした音楽で頑張ってきたんだからもういいでしょ
もちろん、それでも素晴らしい音楽はたくさんある
どんな表現も自由なのだから、それがすべてではない
また商業を優先した音楽を作りたいならむしろそちらを選んだ方がいい
しかし、僕は自分に「それでいいのか?」問いかける
もっともっと自由な表現や縛られない生き方を突き進めて行くならば、音楽のあり方ももっと自由でありたい
ま、よくわからんけど
ロックに生きるなら、無難なロックじゃ楽しくない
「無難なロックじゃ楽しくない」と歌う岡村靖幸氏のどうなっちゃんてんだろうを貼っておこう
これより元のバージョンが好きだけど探しきれなかったので、こちらで
これも良い
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