アートを嗜む余裕を生んでくれたもの
ちょっと前の話ですが、先日富山県のガラス美術館に行って参りました。
僕は芸術に造詣が深い方ではないので、もともと知っていたとか行きたかったということではありません。
少し前にやっていた47都道府県フラペチーノの富山が飲みたくて、ついでに観光スポットを調べたら発見したのです。
もう飲めないので紹介してもあれですが、富山はスイカ味のフラペチーノでした。
スマホのカメラ部分を割ってしまったため、見づらい写真になっております。笑
前置きはこれくらいで、ここからが本題です。
ガラス美術館は、名前の通りガラスを使ったアートを楽しめます。こんな感じです。
そして、僕の1番のお気に入りがこちら
冒頭でも書いたように、芸術に造詣が深い方ではないので、解説も特に読まないですし(そもそもあったかも覚えていないです)何を表しているのかもさっぱり分かりませんが、でも心動かさせられるものがたしかにありました。
撮影禁止のエリアもあったので、上記写真以外にも様々な展示がありました。
常設展なら200円で入れますので、それ以上の価値は必ず感じてもらえるはず。
少しでも気になった方は、ぜひ行ってみてください。
また、こちらの美術館は図書館も併設されており、建物自体もアートになっております。世界的建築家の隈研吾さんが設計を手掛けられたとのこと。特に、ここからの眺めがお気に入りです。
図書館では、学生さんが勉強するための自習室みたいなところも用意されていました。
こんなところで勉強できるなんて、富山の方羨ましい。
お土産コーナーでは、展示してあった作品を手のひらサイズにしたものが売っていて、家に飾りたいと思いましたが値段を見て断念。6万円には手が出ませんでした。
けれども、アートを見て何か感じるこの気持ちというものは、入社して間もなく社会から置いていかれないように生きることに必死だったあの頃には、きっと感じられなかった気持ちです。
今年の3月にバンクシー展を訪れた際も、同じようなことを考えました。
日々の暮らしに余裕を持てるようになったからこそ、今ここで嗜むことができている。社会人7年目になりこれまで色々ありましたが、アートを見た帰り道には、そんな自分の今までの労を労いたくなる自分がいるのです。
お金持ちや成功者もアートを飾っていたり、集めていますよね。
「車や家は幾つも要らないけれど、アートは幾つあっても困らない」。
先日、オリエンタルラジオの中田さんがYouTubeでそのような話をしていました。
人の物欲は、どうやら最終的にアートに向かうようですが、その理由がなんとなく分かった気がします。
僕は大富豪を目指せるだけのメンタルも才能もなければ、もともとそこまでの地位を望んでいるわけでもありません。
でも、お土産コーナーで見たあの6万円のアートは、毎日眺めていたい。何としてもでも手に入れたい。
そう思いました。
そこまで言うなら買えばよかったのにと思いますよね。
けれど、買うのは今じゃないとも思ったのです。
明確な基準なんて何もないですし、カッコつけた言い回しになってしまいお恥ずかしいですが、それに見合う人間になってからまた買いに来ようと決めました。
いつか、家にお気に入りのアートを飾り、毎日眺めて愛でるのです。眺めて愛でているそれは、単なる作品ではなく、アートを嗜むまでの余裕を生んでくれた今までの自分の頑張りそのものだから。