もう一つの聖地(5)産田神社ーさんま寿司発祥の地
産田神社にお参りしますと「さんま寿し発祥の地」と書かれた木の標柱があります。これは熊野市の「さんま寿し保存会」が建てたもので、同時に1月10日を「さんま寿しの日」と定め、「さんま寿しの日宣言」を発表しています。なぜ1月10日なのでしょうか?それはこの日が産田神社の例大祭で、さんま寿司が供されることに由来します。
神社では祭典終了後、直会(なおらい)として「奉飯(ほうはん)の儀」があり、さんま寿司が出ます。神社の案内板によると、『ホウハンの献立は、●米飯に白味噌を使った味噌汁をかけた汁かけご飯一椀●さんまを腹開きにし、骨を残したまま握ったすし●生魚を細かく切ったものに唐辛子だけであえ、二切か四切を皿にのせた「アカイ」などである』とあります。
また三重県神社庁のサイトには、「例大祭及び新嘗祭の当日、祭典後の直会の一種で、奉飯【ほうはん】と云う。奉飯の作り方 ①一飯一椀 米飯の上に薬味として花鰹白胡麻又は葱の細く刻みたるものを添へ温き白味噌汁を注ぎかけたるもの ②骨付鮓 一本頭及び脊骨等の付きたるままの魚の姿鮓【魚は秋刀魚の如き小魚を用う】 ③赤○(譚の言が魚)」二切 赤○の小切身に赤唐辛子を細かく刻み調味料を用ひずしてまぶす【赤○の調達出来ざる時は他の魚を代用す】 神酒二献 先の一椀の汁かけ飯を食し後其の椀にて神酒を受ける。因みに小児の左箸を匡正するに霊験ありとして遠近より来たり手其の飯を食する者多し。祭典日1月10日」
とあります。表記からすると少し古い資料のようですが、作り方が詳しく書いてあります。以前は新嘗祭の直会にも食べられていたようです。子どもの左利きを直す霊験があるというのは時代を感じさせます。
これは子どもの丈夫な成長を願ってのことで、有料ですが参拝者も食べることができます。直会ですからお神酒も出ます。熊野の祭で食事が出るというのは珍しいです。地元で売られているさんま寿司は骨抜きですが、奉飯のは骨付き。カルシウムたっぷりですから、子どもの健やかな成長を願うにはピッタリです。生魚を唐辛子だけであえたというのも刺激的です。体が温まるでしょうね。通常はこのさんま寿司は持ち帰るそうです。イザナミが御子神の丈夫な成長を願って骨付きさんま寿司を食べさせたという話が伝わっているそうです。この御子神はカグツチなのでしょうか。
祭は午前10時から始まり、神事、巫女舞があり、弓引き神事があります。
昔は有馬の人も、木本(きのもと、熊野市の中心地区)の人も、この祭が終わるまでは正月休みで、祭が終わってから働き始めたそうです。祭の終わりには盛大な餅撒きが行われます。また「ありまみやげ」として「粟おこし」が販売されて人気だそうです。なんとなく楽しい祭ですね。機会があれば行ってみたいです。骨付きのさんま寿司も食べてみたいし。
さて、「さんま寿司発祥の地」と検索しますと、ウィキペディアでは静岡県下田市白浜地区と出てきます。地区の伝承によると、室町時代に打ち続く凶作に心痛めた白浜神社の神官が伊豆七島の神々に恵みを祈ったところ、程なく無数のさんまが浜に打ち上げられ、神官は米飯の上にさんまをのせ人々に振る舞い、それ以来秋の例祭にはさんまの炊き込み飯をご馳走する習わしとなったそうです。白浜地区ではさんまの炊き込みご飯で、寿司とは違うようですが、どちらも神様が関わるという共通点があります。
さて、愛する妻に会いにイザナギは死者の国を訪ねます。どういう展開になるかみていくことにします。