阿須賀大行事と呼ばれた阿須賀神社(2)
前章で『神道集』に触れましたが、その巻第二の『熊野権現之事』には、「阿須賀大行事は七仏薬師(しちぶつやくし)なり」とあります。阿須賀の神の本地仏は大威徳明王ですが、ここでは七仏薬師となっています。薬師如来は医薬の仏として信仰されていますが、経典によると東方には七つの浄土があり、七番目一番奥にあるのが薬師如来の浄土で、浄瑠璃国とか浄瑠璃浄土といい、薬師如来のことを薬師瑠璃光如来とも言います。七仏薬師は薬師如来の異名とも別の仏とする説もあります。対極にあるのが西方極楽浄土の阿弥陀如来です。速玉神の本地仏は薬師如来ですから、阿須賀の神も薬師如来としたのでしょう。
『両峯問答○(金偏に少)』
問云、初折霊寺結神籬、彼千代包何人哉
答云、如縁起者、千代包者猟師也。号阿須賀明神。本地、大威徳明王、而本宮之常住者彼千代包末也
ここに書かれているのは修験者の質問とその回答です。質問は「初めて神を祀った千代包(ちよかね)とはどういう人か?」それに対する回答は、「千代包は猟師であり、名前は阿須賀明神、本地は大威徳明王。本宮で神を祀っているのは千代包の子孫である」ということです。ここでは、最初に神を祀った猟師千代包(御垂迹縁起では千代定)が即ち阿須賀明神であると言っています。神の名が権現でも王子でもなく「明神」です。
『鏡谷之響』では、「飛鳥本社(事解男尊 本地大威徳)稲荷大明神、徐福廟、宮戸泉道守大神(本地虚空蔵菩薩)牛鼻大明神、榎本宇井鈴木三党之先祖之廟也、屋倉大明神、橡樟日尊」。この資料では、飛鳥神社の祭神は事解男尊、本地は大威徳明王とあり、宮戸社の祭神泉道守大神の本地は虚空蔵菩薩とあります。牛鼻大明神は三党の先祖の廟とありますから三狐神です。屋倉大明神の祭神は橡樟日尊とありますから、熊野樟日尊(クマノくスビ)ですね。この神は別の機会に説明します。
『熊野山略記』巻第二(新宮)では、「飛鳥大行事•大宮長寛長者、本地は大威徳也。神蔵権現の本地は不動明王。【飛鳥三所は長寛長者大威徳、比平符、漢司符の三所也】。(中略)天岩戸〈天照大神、高間原【高天原】に隠れ給ひし御在所也。俗に天山戸と号す。空中より落ち来たる山云々。飛瀧権現、摩多羅神御座。天照大神の御躰、岩屋にこれ在り。崛中に秘水有り。夏冬増減無し〉 牛鼻大明神〈不動、毘沙門〉、屋倉大明神、御船嶋大明神、比平符•漢司符両将軍、飛鳥中社は、伊勢、住吉、出雲大社、同東社の三狐神は榎本•宇井•鈴木の母也。(中略)飛鳥大行事、大宮、大威徳明王、六頭六面六足、魔縁降伏の為也。摩訶陀国にては権現の惣後見也。飛鳥稲葉根稲荷は同躰也。飛鳥大行事は、権現より以前に蘆鳥神と云ふ鳥の翼に乗て下り、熊野に来る故に飛鳥権現と名づく」。
阿須賀神社に祀られている稲荷神(三狐神)は速玉大社の神職を務めた熊野三党(榎本、宇井、鈴木)の母であるが、その夫が漢司符将軍であり、将軍は摩訶陀国で権現に仕えており、権現より先に新宮に派遣されたあります。そして長寛長者、比平符、漢司符を飛鳥三所としています。長寛長者は『熊野山略記』によると、「於吾朝者号稲荷大明神新宮飛鳥大行事是也」とあり、御垂迹縁起で最初に本宮の神を祀った千代定の三男となっています。『玉置山権現縁起』によると「三狐神(みけつかみ)、所謂、天狐、地狐、人狐ナリ。新宮二於テハ飛鳥二住ム。即チ漢司符将軍ノ妻室ナリ。三大明神ノ母ナリ。権現ノ氏人ハ千代定ノ子」とあります。
神仏習合時代の阿須賀神社を考ええる場合、三狐神(みけつかみ)を母とする伝承を持つ熊野三党の存在がポイントになるようです。
牛鼻大明神が気になります。少し調べてみます。その前に10月16日は速玉大社の御船祭でしたから、祭に参加する諸手船や早船の話を先に紹介します。