上賀茂神社の立砂(たてずな)

 別雷神の夢のお告げにより厳重な神迎えの儀式を行った結果、別雷神は降臨されます。『賀茂旧記』にはその場所は書かれていませんが、上賀茂神社ではその場所を神山(こうやま)としています。神社のサイトによると、神山は神社から北北西に2km離れた標高301.5mの山で、山頂にある最も大きな岩(磐座)が別雷神が降臨したと伝えられる降臨石で、神社の本殿は神山を遥拝するように建てられているそうです。つまり本殿にお参りすることで同時に祭神の降臨した磐座を拝むことになります。神山は神体山にふさわしい円錐形の美しい山です。そして上賀茂神社境内には神山を模したと言われる立砂があります。まず立砂をご紹介します。
 上賀茂神社の二の鳥居を入った正面に細殿(ほそどの)という横に長い建物があり、その前に白い円錐形をした砂の山が二つ並んでいます。かなり印象的です。これが立砂(たてずな)です。盛砂(もりずな)とも言います。この立砂は神山を模したもので、立砂の「たつ」は神様が現れることに由来した言葉で、立砂は神籬(ひもろぎ、神が降臨される依り代)ということになります。この砂は「清めの砂」として、鬼門(北東)や裏鬼門(南西)にこの砂を撒くことで穢れを祓い、方除けとしての役目をします。盛り塩のルーツです。立砂は左右に二つほぼ大きさも形も同じで並んでいます。左右それぞれ子供の背丈ほどの高さで盛られています。ただ違う点は、それぞれの砂山の頂きに立てられている松の葉の数が、向かって左が3葉、右が2葉ということです。これは陰陽道に基づくもので、奇数が陽、偶数が陰になります。奇数が陽ということは、3月3日や5月5日のように奇数が二つ並んでいるのを重陽の節供ということからも奇数が陽であることがわかります。また陽は男性を、陰は女性を意味しますから、左の立砂の松は雄松、右は雌松とも言います。松葉が二つの松は一般的でどこにでもありますが、松葉が三つの松は大変珍しく、上賀茂神社では二の鳥居を入った左の玉垣沿いに一本あります。別雷神が神山に降臨したときに頂上に松の木が立っていたことに由来します。
 立砂はかつては白川砂(しらかわすな)が使われていました。白川砂の白川は東山から祇園を流れ鴨川に合流する河川。比叡山や大文字山を含む京都市東部に分布する御影石が風化したもの。この一帯の縄文遺跡からも使われていた形跡が見つかっています。白川砂は銀閣寺や竜安寺の枯山水などの庭園に使われ、また元になる白川石も建造物や灯籠に使われました。鎌倉時代には日本三大名石に数えられましたが、現在は資源の枯渇や環境保全、治水を理由に京都市条例で採取は禁じられたため立砂にも使われていません。 
 別雷神が神山に降臨したことから、最初は神山に登って祭祀をしていました。やがて神を里に迎えて祀るようになったことで、神山から引いてきた松の木を立てて依り代にしていましたが、社殿が建てられたことで松は木に代えて葉が使われるようになり、木を立てた場所に砂を盛るようになりました。上賀茂神社では細殿の前と、祝詞(のりと)殿の前と背後にも立砂があります。立砂は砂を盛っただけですが円錐形という形から意外に雨に強いです。ただ大雨に遭うと形が乱れるため、その都度神職が修整します。大判コテと境内を流れる「ならの小川」の水を使って神職が一人で両方の立砂を直します。複数で作業をすると神職の個性で左右対称にならないからです。作業時間は2時間近くかかるそうです。 
 9月9日に立砂の前で「烏相撲」が行われます。かなりユニークな神事ですから、マスコミでも紹介されます。「烏相撲」の「烏」は建角身命が八咫烏と呼ばれることに由来します。


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