衛門三郎の再来伝説からー遍路の逆打ち
高知銀行のブログに衛門三郎の伝説の後半部分が載っていますので紹介します。
衛門三郎は弘法大師に会って許しを乞おうと、何年もの歳月をかけて遍路の旅を続けてきましたが、用意した金もとうに尽き、阿波の国焼山寺(第12番札所)にたどり着いた時には、病に倒れ歩くことができませんでした。死期が迫る衛門三郎の耳に、「三郎、三郎」と呼ぶ声が聞こえました。目を開くとそこには大師が立っていたのです。強欲非道な自らを省み、泣いて非を詫びる衛門三郎に大師は問いかけます。『この世の果報は既に尽きているが、来世に願うことはあるか』。衛門三郎は『願わくば、故郷伊予国の一族総本家である河野家の世継ぎとして生まれ変わり、人の役に立ちたい。』と申し上げました。大師は道端の小石を拾い、「衛門三郎再来」と書いて左手に握らせると、衛門三郎は眠るように息を引き取ったのでした。翌年、伊予国の領主、河野息利に長男が生まれました。どうしたことかその手は何日経っても片手を固く握って開きません。そこで河野家の菩提寺である安養寺の僧侶が祈願をしたところ、どうしても開かなかったその手がようやく開きます。すると、手の中から石が転がり落ち、拾い上げてみると、『衛門三郎再来』と書いてあったのでした。河野息方と名づけられたその子は、15歳で家督を継ぎ、後に伊予国の領主となってからは、領民を慈しみ善政を施したとされています。その時の小石は安養寺に納められ「玉の石」と呼ばれ、寺宝として大切に保存されています。
衛門三郎は弘法大師に会って自らの過ちを許してもらうために八十八箇所の札所を巡ります。四国にある八十八箇所のお寺を巡礼するお遍路は約1200年前に弘法大師空海が人々を救うために開いたとされるお寺を巡ることで、弘法大師の功徳を得ることができるとされています。昔、参拝する際に巡礼者が「お札」を打ち付けたことから、お遍路で巡るお寺のことを「札所」と言い、お遍路で札所にお参りすることを「打つ」と言います。お遍路で札所を巡る順番にルールはありませんが、一般的には第1番札所である霊山寺(徳島県鳴門市)から第88番札所大窪寺(香川県さぬき市)へ番号順に四国を右回りに巡る「順打ち(じゅんうち)」が基本とされ、反対に第88番札所から第1番札所へと四国を左回りに巡ることを「逆打ち(ぎゃくうち)」と呼びます。衛門三郎は弘法大師に会うために二十回順打ちで札所を巡りますが、会うことができず、二十一回目に逆打ちをしたところ大師に会うことができました。その場所は第12番札所の焼山寺の近くということです。逆打ちをしていますから、巡礼の終わりに近い場所ということになります。順打ちで会えなかったのが逆打ちすることで大師に会うという願いが叶いました。ただそこで命が尽きてしまいます。この出来事があったのは、閏(うるう)年の丙申(ひのえさる)の年であったとされることから、閏年の丙申に「逆打ち」でお遍路すると、3倍のご利益があると言われています。直近では2016年(平成28)が閏年の丙申でした。そのため3倍のご利益を得ようとお遍路さんの数が急増し、また観光バスで行く「逆打ち」ツアーも盛況だったそうです。閏年は基本的に4年に一度ありますが、丙申は60年に一度しかめぐってきませから、閏年の丙申という年は希少価値があります。