ニギハヤヒのプロフィール
ニギハヤヒは神武と同じく熊野三山の祭神ではありません。しかし神武の熊野での危機を救ったタカクラジの父とされており、神武の敵であったナガスネヒコに主君として仕えられていた存在であり、タカクラジの異母弟のウマシマヂは、藤白鈴木氏のルーツとされるなど熊野との関係が深いです。すでにこのブログでも断片的に取り上げていますが、ここでプロフィールをまとめてみます。
ニギハヤヒは、饒速日命、邇芸速日命と表記されます。父はアメノオシホホミミ、母はタカミムスビの娘栲幡千千姫(タクハタチヂヒメ)、又の名は萬幡豊秋津師比売(ヨロズハタトヨアキツシヒメ)と言い、二人の間に生まれた天火明命(アメノホアカリ)と同一であるとされます。妻はナガスネヒコの妹登美夜毘売(トミヤヒメ)、その間に出来た子供がウマシマヂ。ニギハヤヒの父はアメノオシホホミミですから、ニニギは異母弟になります。神武と出会いますが、ニニギは神武にとっては曽祖父になりますから、かなり世代にズレがあります。タカクラジやウマシマヂも神武にとってはかなりの年長者になります。もう一人の子であるアメノカグヤマ(タカクラジ)は、大己貴命の娘である天道日女(アメノミチヒメ)との間に出来た子。タカクラジには出雲系の血が入っています。ニギハヤヒと天火明命が同一とされるのは、『旧事本紀』にニギハヤヒの別名に天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルホノアカリクシタマニギハヤヒノミコト)とあるところからです。アメノホアカリがニニギの兄とするのは『古事記』や『日本書紀』の一書で、『日本書紀』の別の一書ではニニギの父としていますが、そうするとアメノオシホホミミと同一ということになり、ますます神武との世代のズレが生じます。ここは『旧事本紀』にあるようにアメノホアカリはニギハヤヒの別名であり、ニギハヤヒとアメノホアカリは同一であるというのが妥当です。
ニギハヤヒは前にも書いていますが、十種神宝を授かり、天磐船に乗って天降ります。『旧事本紀』にはこの時にタカミムスビが衛(ふせぎまもり)として32人に命じて随伴させています。その中には息子のアメノカグヤマがおりますし、、紀国造の祖の天道根命(アメノミチネ)もおります。
神武の大和入りの最後の場面で、ナガスネヒコは神武に「我らは天磐船で天より降りた天神の御子ニギハヤヒに仕えてきた。あなたは天神を名乗り土地を取ろうとされているのか?」と問うたところ、神武は「天神の子は多い。あなたの君が天神の子であるならそれを証明してみなさい」と返答します。するとナガスネヒコはニギハヤヒの持つ天羽々矢(アメノハバヤ)と歩靱(カチユキ)を見せます。すると神武も同じ物を見せました。ナガスネヒコはそれでも戦いを止めなかったので、ニギハヤヒはナガスネヒコに天神と人は違うのだからと諌めますが、ナガスネヒコの性格がひねくれており、忠告に従わなかったので、ナガスネヒコを殺して神武に帰順して忠誠を誓いました。この話は勝者の視点で書かれていますから、額面通りには受け取れません。ただ話の内容には、天神の子は多いとか、天神の子であることを証明する品があるとか、天神と人とは違うとか、なかなか面白い話題があります。
『旧事本紀』には、この帰順の話の時にはニギハヤヒは既に亡くなっていて、速飄神(ハヤチノカミ)がその遺体を天上に送り、葬儀は七日七夜続いたとあります。そうすると神武に帰順したのは息子のウマシマヂということになります。またこの世でのニギハヤヒの墳墓は生駒市の白庭台(しらにわだい)にあるとされ、この場所は磐船神社から南に2kmほどです。
天羽々矢は最初に国譲りの交渉のために派遣された天若日子(アメノワカヒコ)に授けられましたが、結局この計画が失敗したので、タケミカヅチとフツヌシが派遣されます。そのときにタケミカヅチが持って行ったのが布都御魂剣。歩靱はその矢を入れて背負う道具です。矢も靱もどちらも高天原から地上に派遣されるときに持たされる物のようです。