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7月8日「コメダの豆菓子」

2021年7月8日の日記。
夜、以前から欲しかったテロンテロンの透け透けシアーな羽織を買った。ちょっと状態よくわからんね。

とっぷり暮れた夜空を見上げると無性に腹で閑古鳥が鳴いていたので、コメダ珈琲に寄った。

コメダで豆菓子をもらうとテンションが跳ね上がる。鳩みたいな幸福の感じ方だなと思う方もいらっしゃるかもしれない。あれいない?ともあれ私はコメダ珈琲の豆菓子が大好きなのである。なんと言っても量が良い。上品な質量。こういった豆菓子はかなりの確率で市井のスーパーに陳列されており、お酒コーナーの横で豆の視線を感じることもしばしばだ。しかし、そのタイミングで心は跳ねない。「あー豆菓子だ〜」くらいの平常心で品を掴みカゴに収める。結局買うんかい。買うんだけど別に胸は高鳴らない。好きだけど。
何故高鳴らないのか。市販の豆菓子は量が多いためである。「この量を一気に食べてしまったら...」とお肌や健康の未来を考えると精神に暗雲が立ち込めるのだ。人生100年時代と呼び声高いが、果たして私はこの豆の数の齢を越えることができるのか...こんな塩っぱい食事ばっかして....と鬱々とする。

私の肌はかなりの正直者なので、市販豆菓子を一袋でも食べた翌日にゃ吹き出物がポツリと生じる。そして渦中の私の肌は「どうも正直過ぎてすいませんね〜」と毎回陳謝しながら吹き出物を野放しにする。謝ればいいってもんじゃないんだよ。いいか、一回の謝罪に気持ちを込めろ。謝罪が習慣になってはダメだ。成長しない。一回の謝罪を言葉と胸に刻むことで、同じ過ちを犯さなくなる。どうだい?わかってくれたかい??
私のパワハラ肌ラリーにも懸命に応じて、肌は毎回ハイッと良い返事を返してくれる。そしてまた吹き出物を連れてくる。こ、こやつ学ばない...。
パワハラ上司VS学ばない部下、この闘いに決着の2文字は刻まれるのか、乞うご期待!

といった調子で本当豆菓子の食べ過ぎは肌の治安にも、今のパワーバランスがアンバランスなご時世的にも良くないので困っていた。買わなきゃええやんと思うかもしれないが、豆菓子のない飲酒なんてサンタのいないクリスマス、蝉の鳴かない夏休み、もといひぐらしのいない雛見沢くらい寂しくて味気ないものなのだ。

そんな私の悩みを全て解決してくれたのがこちら
コメダ珈琲でドリンクを頼むとついてくる豆菓子である。この量だと吹き出物も出ないし何より小さいのに多大な満足感がある。
今日も早速食べていたら食欲に火がつきグラタンと唐揚げバスケットまで頼んでしまった。とんでもない着火剤だったぜ豆菓子よ.....。
明日は炭水化物の申し子みたいな吹き出物と出会えるに違いない。とんでもないぜ!

結局なんの話?

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