続:匿名か。実名か。(サービスの使い分け)
連続投稿すみません。そして、ころころとnoteのニックネームを変更していました。フォローしていただいている方にとっては、紛らわしいだろうと思います。ごめんなさい。
以前、noteはどんな人が書いているかが分かるからこそ、アップされるコンテンツが面白くなるのではと思い、ニックネームを実名にしたと書きました。(詳細はこちら。私のノートの中で、読まれている回数が一番多い記事でもあります。)
が、職場の人に「noteっていうサービスが面白くてね。」と話していたら、「じゃあ、maikoさんのページを探して読みますね。」と言われ、そこはかとなく嫌な感じがしたので、一旦見つかりにくいようにした次第です。
話をした時点では、この人が書いてくれたら面白いだろうと思って、noteというサービスを紹介したかったのであって、自分のアカウントを探されるとは思いもよらなかったのです。
そこで、この「そこはかとなく嫌な感じ」がなぜ生じたのかを考えてみました。
noteを始めた理由の一番は、「自分の見たこと、感じたことをどこかに残しておきたい」というものですが、ただの紙の日記にしなかったのは「自分のために書いたものが、誰かにとって何かの役に立つことが、もしあるならうれしい」という気持ちがあったからです。
もちろん、無料noteは登録していない人でも誰でも読めることは分かっていて、誰が読むかわからない前提で書いてはいるのですが、それを知り合いに探されるというのは何とも嫌な感じがしたのです。
noteに書いたことを見られるのを「自分の家の庭を見られる」ことに例えるなら、こんな感じ。
・たまたま記事を読んだ人が「スキ」をしてくれる、フォローしてくれること
→家の庭で花を育てているとして、たまたま家の前を通りかかった人から、「きれいな花ですね」と言われるような感じ
→うれしい
・知り合いに私のnoteの記事を探して読まれること
→「ここに住んでいると聞いて、庭を見に来ました」と言って、わざわざ訪ねてくるような感じ
→なんとも嫌な感じがする(ジャッジされているような印象)
リアルでつながっている人たちには、自分のどの部分を見せるかをある程度選びながら、日々生きているわけですが、それを超えて自分の頭の中身を見られるということに対する抵抗感です。
友人曰く「二重扉」な私は、一見フレンドリーなようでいて、ある一線以上はあまりオープンにしないところがあるのですが、このnoteにおいては、結構ノーガードなんだなと自覚しました。
結局noteのサイト内検索機能で、「トロント」などと探されると一発で見つかることがわかったので、腹をくくって実名(姓名の名だけ)に戻しました。
島に移住した時に、あまりにも公私の区別がないので公私の自分を使い分けるのを諦めて、自分としての軸が通って生きられるのが心地よくなったのと同じように、こうして思っていることを素直に表現できることが心地よくなる日が来ることを祈って。
さて、ちゅうハヤサロンでもSNSをどう使い分けるかという話がありましたが、私の中では、次のような感じて使い分けたいと思っています。
組織の名前を背負った私です。以前は、おいしかったお店などプライベートなことも書いていましたが、中高大学時代の友達と同じくらい、前職・現職含めて仕事関係でつながっている方が増えているので、下手なことが書けないのです。
その組織の人として書いても恥ずかしくないかというフィルターを通して書いています。
・note
純粋な個人としての私です。これから仕事のことも書いていくかもしれませんが、「個人としての見解であり、所属する組織としての公式見解ではありません」というよくある弁明をしておきます。
また、自分の持っているもののうち、何が人の役に立てるのかという試行錯誤の場にしていきたいと思っています。
前職時代に登録したものの更新していません。フォローする人を整理して、情報収集に使えるようにしようかと検討中。
今更ながら登録してみたものの、使いこなせていません。
ちなみに、ブログは持っていません。(過去に鍵付きで日記的なブログを書いていたことはありますが、クローズ済み。)
作った方がいいのかな・・・。