旅立つ寂しさと見送る寂しさ
学校の3月には、2つの「卒業」がある。
一つは、3年生の卒業式。もう一つは、異動される先生方の離任式。
生徒たちの新たな門出である卒業式は、感動で涙しながらも何だか気持ちは晴れやかで、「これからの人生も応援し続けよう」と前向きな気持ちになれる。
一方、なんとも寂しいのが先生たちの離任式。旅立つ側はもちろん寂しいと思う。でも、見送る方も同じくらい寂しい。
4年目にもなると、自分と同時期に来た先生方はもちろん、私より後に異動してきた先生方も見送る立場になってくる。長くいればいるほど見送る回数は増え、その見送りの寂しさも増していく。
島という特殊な環境もあるかもしれないが、生徒の3分の1(1学年)が毎年入れ替わるのに加えて、先生方もだいたい3分の1くらいは毎年入れ替わる。
普通の会社だとこれだけ多くの人が一気に転職すことはおそらくないのではないだろうか。
楽しいときも、時に大変なときも一緒に過ごしてきた「チーム」である先生方が出ていかれるというのは、本当に心細い。自分だけ置いていかれるようで、いっそのこと一緒に「卒業したい」と思ってしまう…。
そんな中で、今年異動される先生が、生徒に向けた最後のあいさつでこんな言葉をくれた。
「組織も水と同じで流れがなければ澱んでしまう。そのために、私たちは出ていくのです。」
どれだけ清らかな水でも、ずっと溜めているだけで流れがないとやがて澱んでいく。組織も同じで、どれだけ素晴らしい人が集まっていても、そこに人の異動という流れがなければ、澱んでしまうというのだ。
また、「出ていく私たちとは個性や得意不得意が違っても、来られる方々全体として、今までと同じようなバランスが取れるようになっているのが人事だから、安心してください。」とも仰っていた。
この話を聞いて、旅立ちを見送り、ここに残る私にできることは何だろうと考えた。
一つ、微力ながらできることがあるとすれば、流れを見守りながら、「これまで」と「これから」をつなぎ、出ていかれる方々と積み上げてきたものを大切にしつつ、新しく来られる方々の持ち味や意見を取り入れてよりよいものに磨いていくことだと思った。
もう一つ、ここに残る私ができることがあるとすれば、時々帰ってくる卒業生たちを笑顔え迎えること。
「会いに来ました!」
「先生に報告したくて!」
この言葉に何度救われたか分からない。
「卒業したい」なんて弱気なことは言えない。ここに残る私だからできる「はたらき」をもうしばらくは、頑張ってみたい。