逆境を力に。町唯一の商店だからこそ、届けられる"ときめき"【おもせ〜ひと vol.14】
福島県大熊町の”おもせ〜ひと”(=面白い人)を数珠つなぎ形式でご紹介するインタビュー企画「おおくままちの”おもせ〜ひと”」。
14人目にご紹介する”おもせ〜ひと”は、鈴木真理さんです!
2021年、大熊町大川原地区に、商業施設・宿泊温浴施設・交流施設の3つの施設からなる交流ゾーンがオープンし、人々の交流拠点がつくられました。
今回お話を伺ったのは、交流ゾーンの中にある商業施設「おおくまーと」で生活用品・雑貨を扱うお店「鈴木商店」を営む、鈴木真理さん。
そもそも、コンビニや飲食店、電気屋や美容室などが立ち並ぶ「おおくまーと」は、原発事故の影響で8年人が立ち入ることのできなかった大熊町における、唯一の商業施設として町民の皆さんの生活と交流を支える、非常に重要な役割を果たす場所です。
その中にお店を構える鈴木商店さんは、元々は大野駅前の商店街にあった、大正時代から続く歴史ある商店。震災直後も、個人店としての柔軟性を生かして、お客さんに品物を配ったり、仮設住宅でも営業を継続したり、場所が変わってもその歴史を紡ぎ続けていらっしゃいます。
鈴木商店さんのHPはこちら↓
鈴木商店の店内は、日用品が並ぶかたわら、おしゃれな食器や、可愛らしい雑貨、オリジナルのコーヒーなどが並び、とても洗練された空間。
「大熊町にこんなおしゃれなお店があるんだ!」と思わずテンションが上がってしまうようなお店です。
お店の数が少なく、品揃え豊富な大型店で買い物をするには、隣の町まで足を伸ばさなければならない大熊町。
しかし、だからこそ、見て楽しいお店、物を買うときの「心のときめき」を感じてもらえるお店を作りたかったと真理さんはおっしゃいます。
どのような経緯で大川原でお店を続けることを決意したのか、どのような思いをもってお店をやっていらっしゃるのかなど、じっくりお話をお伺いしました。
鈴木商店のこれまでと現在
「震災の時に、個人店って強いなと思ったんですよ」
-震災後、どのような経緯で、大川原にお店をオープンされたのでしょうか?
真理:震災後、私の家族はみんなバラバラに避難したんですね。
私と姉は関東で、父母は会津の仮設住宅で暮らしていたんですけど、その時にも、元々お付き合いのある企業さんから注文をいただいたりしていたので、仕入れて納品するっていうのは、父と母が続けてくれていたんです。
そこへ私が帰ってきて、ちょうどそのころに、「大川原にお店を作るんだけど」って知らせが商工会さんからきたんですよね。それを聞いて、人もあまり戻らないし、どうしようかなと思ってたんですけど。
でも、お店のないところに人は来ないじゃないですか。必要かどうかは別としても、お店ができていくような雰囲気を作っていかないと、人は戻ってこないんじゃないかなと思ってたんですね。
あとは、震災の時に、個人店って強いなと思ったんですよ。
震災があって、ぐっちゃぐちゃになった時でも、ロウソク欲しいとか、マッチが欲しいとか、その日からすぐにお客さんがきていて。その時、みんなお金持ってないんで、売らないで配っていたんですけど、そういう時、大きいところだと、まずは安全を確保して、皆さんを帰しちゃって、多分すぐ動き出せないと思うんです。でも個人店って、すぐに片付けをして、汚い中でも、すぐにやり直そうって動き出せる。
そうやって、本当に困った時って、意外と個人店の方が力が強いなって思ったんです。そういうお店がないと、大きいお店ばっかりだとだめなんだろうなって。
だから、どうなるかわかんないけどやってみたいなって思ったんですよ。
そこで、親に相談したんですけど、まあ反対を食らいまして。人も、企業さんもいない中で、売り上げ的にも厳しいから、やっていけないし、やるべきじゃないみたいな話になって。
でも、やってみないとわからないし、もし万が一うまいこといったなら、先にやっていた方がチャンスがあるなと思って。なので、反対を押し切って、出店したいって話をしていたんです。そしたら、親も「しょうがないね」みたいな感じになって。
大川原の商業施設がオープンする前、2年半くらいは仮設で店舗をやって、そこから2021年3月のオープンに合わせて移転しました。
-なるほど。ここにお店を移転されたのは、町に人が戻ってくるためには、お店が必要だろうという思いからなんですね。
真理:まあ、田舎は車社会だし、隣の富岡町とか浪江町にいけば、ちょっと大きめのお店もあるので、必要ないんだけど。でも、お店もない町に戻りますか?って言われたら、私だったら戻らないんですよね。
商業が戻ってこようとしない町に戻ってきても、不便でしかないんじゃないかなって自分だったら思うから。
-真理さんとしては、やっぱり町に人が戻ってきて欲しいという思いがあるんですね。
真理:ありましたね。やっぱりね。
ずっと育ってきている町だし、町に住もうって決断をしてくれるような人がいるのなら、自分も何かできたらいいなっていうのは思っていて。
-お店は、生活用品以外にも、化粧品や雑貨など、さまざまなものを取り揃えていらっしゃいますよね。お店が今の雰囲気になったのは、移転後からなんですか?
真理:そうですね。
昔の鈴木商店は、日用雑貨と化粧品と薬をやっていたんです。
でも、薬は使用期限があったりして扱いが難しいのでやめて。日用品と化粧品はそのまま残しつつ、日用品自体はスーパーでも買えるので、見てて楽しいお店にしようかなと思って。
そこで、大川原に移った時に、取り扱いを変えまして、ああいう雑貨みたいなのを増やしていったんです。
-お客さんは、どういう方が多いですか?
真理:1番多いのは、意外なんですけど、近隣の他町村の方。あとは役場の職員さんだったり、雑貨好きの方だったり。
あと、うちオリジナルコーヒー作ってるんですけど、コーヒー好きの方が結構いらっしゃっています。お店自体は、最初男性が入りにくいと言われていたんですけど、若い方から年配の方まで、男性の方がコーヒーを買いに来てくれるようになりました。
おかえりと言ってもらえる、町の「あたたかさ」
-真理さんご自身は、どういった経緯で鈴木商店を継ぐことになったのでしょうか?
真理:高校卒業後、東京の専門学校に進学したんですよ。大体みんな都会にいくので、何も考えずに東京って決めて。
それで、専門学校に行って、そのまま学校で勉強したことを活かしたいと思って東京の化粧品会社に就職して。ただ、会社はすごく楽しかったんですけど、田舎が好きすぎて。東京いる時から、月に一回は帰ってたんですよ。
それで、うちでは化粧品も扱っていたし、化粧品会社の経験とか、専門学校で学んでた技術もいかせるんじゃないかなと思って。
24歳くらいで、家に帰ってきたんですね、で、そのまま鈴木商店に。
-月に一度、家に帰るくらい田舎好きなのに、どうして上京されたんですか?
真理:家を出てからなんですよ。出てから好きになったんです。
家を出るまでは、本当に嫌で。近所に住んでる人みんなが私を知っていて、田舎って人付き合いが密だから、私の行動一つ一つがすぐわかるわけですよ。監視されてるわけではないんだけど、あそこの子と一緒にいたとか、仲良いのはあの子とかって言われるのも嫌だし、なんで私のこと知ってるの?って。遊んでたりすると、あそこで見かけたぞとか、そういうのもいちいち嫌で。
田舎のそういう人付き合いが、煩わしいと思って、中学生くらいから決めてたんですよ。私、絶対町から出るんだみたいに。
でも実際、家を出るちょっと前くらい、18歳くらいから、精神も大人になってきて、それが「あったかい」ってことに気づいたんですよね。
実際東京に出て生活してからも、都会も悪くないなと思ったんですけど、田舎の密な感じって、そこにしかないんですよね。で、夏休みとかにたまーに帰ってきた時とかには、「おかえり」って言ってもらえるあたたかさがあることに気づいたんです。
それで、就職してからは毎月帰るようになったんです。大人になってからですね、田舎の良さに気づいたのは。
-都会は都会で楽しかったけれど、それでもやっぱり大熊が良い、となったんですね。
真理:そうですね。居場所って感じが強いのかな。
東京も楽しいし、友達もいたし、職場の人たちもみんな良い人で仲良かったし、そこも居場所といえば居場所だったけれど、もっと本当に、ちゃんと居場所って思えるのは、やっぱり育ってきた町だなって。
-そうやって好きな田舎に帰ってきたのにも関わらず、震災や原発事故の影響で町にいられなくなったわけですよね。辛くはなかったですか?
真理:でもまあ、楽しかったですよ。
辛いことも、考えることももちろんあって、暗い気持ちになったりすることもあったんですけど、行く場所行く場所、周りに関わってくれた人たちがみんないい人だったから。
あと、無駄に時間を過ごしたくないっていうのもあって、なんかできないかなと思って、元々興味あったから、ネイルの資格をとったんです。仕事もなくなって、こんなに時間ができることってないじゃないですか。
だから、逆に言えばチャンスだなって思って。それで、じゃあ今までできなかったことをやろうと思って、震災後にネイルの資格を取りました。
今は納品や見積もりが忙しくなっちゃって、ネイルをするのは既存のお客さんだけですけど、皆さんすごく喜んでくれるから、細々と続けていきたいです。
あまりお店がない場所だからこそ、心ときめく瞬間を
-お店をやられていて、お客さんの反応はいかがですか?
真理:結構喜んでくださっていて。
うちで取り扱っている雑貨って、日常生活に必要かって言われたら、ちょっと微妙じゃないですか。コップとかはあるけれど、もっと日用品として安く売っているコップもあるし、本当に必要かって言われたら微妙なものばっかり揃えていると思うんですけど。
でも、だからこそ見てくれる方が楽しんでくれるし、大熊でこんなの売ってるのみたいな感じで言ってくださる方も多いです。
量は多くないけれど、雑貨を一個一個手にとって、わあすごいって言ってくださっているのを見ると、嬉しいですね。
-私たちも、初めて来店した時、大熊にこんなおしゃれなお店があるとはと驚きました。
真理:はじめは、生活に根ざしたお店が求められていると思ったから、やって良いのかなとも思ったんです。でも、車でいける範囲に生活に根ざしたお店があるなと思った時に、逆にこういうことをやる人っていないんじゃないかなって。
実際、日用品を買う時、心の動きってないじゃないですか。でも雑貨をみて、これ欲しい!って思った時の心の動きって大きいですよね。
住んでいて、あんまりお店がない中で、そういう楽しさを感じられたり、少しでも心をときめかせられるものがあったらなって思って雑貨を集め始めました。
結構、雑貨屋って、ある程度の統一感をもって揃えるんですけど、私も姉も趣味が違うんですよね。だから、統一感のないお店にはなるんです。
だけど、それが逆に面白いかなと思って。なんでこんなの仕入れたの、みたいなものもあるじゃないですか。
-ちいさい動物のフィギュアとか(笑)
真理:あそこら辺は共通の趣味なんですけど(笑)
そういうものがあった方が、生きてて楽しいですよね。
うちの姉が、その時のハマりでカゴをたくさん仕入れた時には、3人で喧嘩になりましたけどね(笑)。うちの経理部長の母が、「そんなに仕入れてどうするんだ!」って。
これからの鈴木商店
大熊のお土産を作りたい
-これからについて、どのように考えていらっしゃいますか?
真理:町外から来られる方が多くなったり、見学にきたりとかで、大熊のお土産を、皆さん探されるんですよね。でも今は、お土産と言っても、ネクサスさんのいちごを使ったアイテムとか、それくらいですよね。
鈴木商店でも、大熊出身の人が会津でやっているカフェのお菓子とかハーブティーとかを仕入れたんですけど、会津のものを使っているので、少し会津感が強い。
だからもうちょっと、大熊のお土産を作っていけたらなと思って。
でもね、ただキャラクターだけがぽんって入ったメモ帳とかじゃなくて、もうちょっと心ときめくもの、雑貨屋っぽくアレンジして、普段使いできるようなものを作っていけたらなって。
今ちょっと考えているアイテムがあるんですよ。いつ形にできるかなって感じなんですけど、楽しみにしててもらいたいです。
あと、町の人も喜んでくれるようなものを作りたいなと思って。
おーちゃんやくーちゃん、まあちゃん(大熊町のキャラクター)のシンプルなグラスを作ったんですけど、地元の方が真っ先に買ってくれたんですよ。それで喜んでくれるから、他にもなにかできたらいいなと思って。
なので、商品開発をがんばります!
-真理さんは、これから大熊町にはどんな町になって欲しいと思いますか?
真理:生活する人が増えていくのが1番だと思うんですよね。
私たちみたいな、地域に根ざした、小さい頃から育ってきた人間がどんどん増えていけばいいなって思うから、人が移り住んでくれるような町になっていったらいいなって。
あと子供がどんどん増えていったらいいな。いつか私も住みたいです。
-最後に、読者の方へメッセージをお願いします!
真理:人があったかい、いいところですよ!
編集後記
お店の少ない町だからこそ、逆に大きなスーパーではとても味わえないような、心のときめく瞬間を提供しようという考えだったり、震災中に時間があることを活用して、興味のあったネイルの資格をとり、そのノウハウをお店でも生かしていらっしゃったり…今回のインタビューは、真理さんの逆境を力にかえるエネルギーが非常に印象に残る回となりました。
雑貨屋さんに一歩足を踏み入れた時の、宝探しが始まるかのようなワクワク感や、小さな雑貨に心動かされる瞬間が好き、という方、多いのではないでしょうか。
かくいう私もその1人なのですが、鈴木商店さんの店舗に初めてお伺いしたときに、それと同じようなときめきを感じたことを覚えています。
鈴木商店さんは、間違いなく大川原にきたら足を運ぶべきスポットの一つ。
ぜひ皆さんにも実際に、お店へ入った瞬間のワクワク感を体験していただきたいなと思います。
***
さて、8月から投稿を続けてきた「おおくままちの"おもせ〜ひと"」。
大熊町の「人」を発信することをテーマに、大熊町に関わる方に、数珠つなぎ形式でインタビューを行ったこの企画ですが、総勢18名の方にご協力いただき、合計で15本のインタビュー記事を作成しました。
今回の記事が、私たちが現地で行った最後のインタビューとなります。
はじめは、大熊町について何もわからなかった私たちですが、大熊町の方々のあたたかさに支えられ、この企画を無事に最後まで実現させることができました。インタビューを行ううちに、大熊町のことについても自分たちの身をもって深く知ることができたと同時に、大熊町が私たちにとって、また戻ってきたい大切な場所となりました。
これまで記事を読んでくださった方々、そして何よりインタビューに協力してくださった18名の方々に、心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
"おもせ〜ひと"の更新は一旦お休みとなりますが、私たちが作成したインタビュー記事は、これからもずっと大熊町情報noteに残り続けます。
大熊町の「人」や雰囲気を知ることのできるものとして、これからも大熊町を知らない方も、知っている方も、色々な方々に読んでいただけたら嬉しく思います。
改めて、この企画に関わってくださった皆様、本当にありがとうございました!
インタビュー:殿村・中井
編集:殿村
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