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大雪(たいせつ)。真珠湾攻撃の日。ジョンレノンが殺された日。『鬼滅の刃第23巻』読了。

 11月はジェット気流が北の方を流れていたため、寒気が南下せずに暖かい月になりました。ラニーニャ現象による寒い冬の期待は見事に裏切られ、まだまだ寒い冬にはなりません。12月に入って少し寒くなってきたようですが、指導員研修会とホワイトクリスマスには間に合わないかもしれません。今年はまだ年賀状も書いていません。年賀状はきたものだけのだけにしようと考えています。ただ、大学の恩師だけには出さないといけないかな。お一方喪中ということなので、2枚だけなのですが。

 今日は真珠湾攻撃の日、名前が付いていないようですが、太平洋戦争宣戦布告の日、第二次世界大戦開戦の日です。1941年だそうです。終戦が1945年ですから、3年と8ヶ月アメリカを含む連合軍と戦っていたのです。それまでに中国と戦争を始めていたようですが。終着点をどこに置いて戦争をしていたのでしょう。世界征服が目的なら、国民を破滅に向かわせる戦争をしていたということになります。大東亜共栄圏樹立も同じことでしょう。誰の利益を潤わす戦争だったのでしょうか。集団ヒステリーですか。もはや病気です。狂人に政治をさせていいたようなものです。多様な意見を受け入れるどころか、表明することさえできない政治は危険です。大政翼賛政治になってしまいます。結果的に暴力で自分に不利になる相手を抹殺することになります。日本は暴力で利益を得ようとして、暴力で排除されたのです。奇しくも今日はジョンレノンの殺害された日でもあります。なぜジョンレノンは殺されなければならなかったのでしょうか。アメリではケネディー大統領も狙撃されています。犯罪暴力がまかり通る国です。暴力の強いものが生き残る国だという伝統がいまだに残っているのでしょうか。日本がそうならないことを願うばかりです。

 『鬼滅の刃第23巻』完結編を読みました。暴力には暴力で対抗するという構図は変わりがありません。鬼殺隊が私権力なら、価値観の相違のみの違いにすぎません。公権力による暴力が私権力による暴力に勝る構図と、公権力が市民を守る意識を持って制御されていること、その条件下における暴力の保持が必要悪なのです。暴力の保持など、費用がかかるので必要でなければ持たない方がよいのです。念頭にあるのは警察権力ですが、軍隊も同じです。他国が軍隊を持っている以上、自国で軍隊を持ちたいのは為政者の常でしょう。その暴力をどう使うか、誰のために使うか、誰が制御しているのか、そこがぶれると恐ろしいことになります。『鬼滅の刃』からずいぶん離れました。内容を話題にしないためにはよいでしょう。『鬼滅の刃』の共感できるところは、鬼が、好きで鬼になったわけでは無く仕方なく鬼になり、殺されていく上でその生涯を振り返ったり、救われて殺されていったりする部分であろうと思われます。鬼には鬼の事情があるのです。鬼が退治された後、鬼殺隊あるいは産屋敷家は鬼が生まれない世界をこそ作る努力をすべきなのです。

 酒見賢一『陋巷に在り』は「礼」をもって暴力を克服するファンタジー小説です。そんなことが現実に可能なのか、疑問はつきまといますが、試してみる価値はあると思います。背景に公権力による暴力の後ろ盾を必要としつつも、礼をもって暴力に立ち向かうことは可能かという実験です。ファンタジーかなあ。少なくとも、日日の人間生活を円滑に運営する手段として役に立つと思うのですが。ただ、衣食が足ることが必須条件ですよね。政治はそこからやらなければならないのです。


大雪(たいせつ)は北海道のみ真珠湾攻撃の日は平和を願う

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