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「死なないための暴力論」は役に立つのか

本屋でこの本を見かけたときに漂うアナーキー性と帯にブレイディみかこさんが推薦しているという点で、読まねばならぬ!と直感が背中を押した。

〈両手にトカレフ〉はアナーキーな匂いに満ちていて大好きだ。なによりヒップホップだ。

わたしにはアナキズムがぼんやり芯に据えていると自覚している。
LOVEなレコードを10枚並べろと言われたらDead Kennedysの〈Fresh Fruit for Rotting Vegetables〉は外せない。

栗原 康さんの〈アナキズム――一丸となってバラバラに生きろ〉をめくり読んだときには、自分が日頃からモンモン思っていたことが文章にされていることに驚いた。
amazonのリンクを貼っておいてなんだけど、わたしもamazonがなくなれば世界は少しだけマシになると思っている。

金融、広告、保険屋とかクソすぎるのに、なぜみんな普通に受け入れているの?と思っていたから、デヴィッド・グレーバーの〈ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論〉なんかは、読む前にこめた期待に部分的に応えてくれた。

ふりかえればアナキズムに関わる、あるいは嗅ぎとれる本や映画や音楽ばかりを好んできた。
※映画で言うと「マーズ・アタック!」や「バクラウ」なんかはいつみても最高だ。

権威なんて知らないね。という火星人/マーズアタック
奪うなら、殺すぞ!という態度の夫婦/バクラウ

アナキズムの自覚は生活に不便を感じてもいる。
「は?国家?しらないね!」なんて態度は、経験的にけっこう煙たがられる。
一つ屋根のしたで暮らしていた人には「厨二病」と蔑まされていた。

厄介なのは、たまに人生でアナーキーの人に出会うことがあると10代のころは好意的に受け止めていたけど、いまは、アナーキーがすぎる人に出会うとめんどいのだ。
アナキズムとの向き合い方は自分には難しい。

最近読んだ、ソン・ウォンピョンさんの〈三十の反撃〉という小説の中で、舞台は韓国だが
昔はイケイケだったキャラクターが結婚して子供をもち、世間体に束縛されはじめたときの↓のようなセリフ

年をとると人は保守的になる。

凡庸ながら、妙に喰らってしまった。
ストーリーが面白かったからという理由が大きいけど、不十分とは思えど、福祉国家にピースの気持ちもあるからだと思う。

YESともNOとも応答してない社会システムの中で生きてくのは大変で、上手く馴染ませることに苦戦する。

ここまで、自分語り(趣味•趣向)になってしまったけど「死なないための暴力論」のなかでは、『なにもしなかったらやられるだけ』の民族がアイデンティティをかけて戦い、国家を持たない自治としてのアナキズムに対して、わたしのようなファッション・ライフスタイルの一環のような「アナキズム」についての批判のまざなしがあることも、抑えておきたいし身を斬られる気持ちにもなった。
つまりナイスな本だった。

法と構造の暴力に対しての先人たちの戦いを駆け足ながらサマリーされており、イギリスの女性の公民権運動については目頭が熱くなり、クルド人の歴史については、おこがましながら日本人は知るべしと考える。
(蕨・川口にうずまく後ろ暗いナショナリズムに、わたしはウルトラ嫌悪している!ということは書いておきたい。)

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