ラトゥール『社会的なものを組み直す』をわかるまで読む
第10回
ANTを理解するための第3の障害についての説明に入りたい。それは「ものobjects」にもagencyがあるということを我々は社会を研究するときに忘れてしまう、という問題である。action 行為は複数のagencyによって個別のactorを超えてなされるということを理解することが大切だ、というのがANT理解の第二のポイントであった。このときに社会的なるものの社会学者は社会に非対称が存在するとき、それはそれを引き起こすagency(時に複数)があり、それはニュートンがものの落下における重力の存在を示したように、社会のシステムがひとつの独立したシステム(sui generis)であって、その構造を決定している重力の力のようなものとして、社会的なるものの社会学者は疑ってこなかった、とするのだ。
ところが、アクター同士が関係して、複数のエージェンシーが関係して動き回るものとして社会をみて、なおかつ観察できるものはその動きの痕跡だけだとする関係性の社会学であるANTの視点からすると、この説明は受け入れられない。社会関係あるいは格差ですら、安定したシステムがあるのではなく、関係性がうみだす痕跡なのだ。その痕跡を見るために、ラトゥールがつかっている英語でみると、a movement, a displacement, a transportation, a translation, and enrollmentに注目することとなる。もので考えると、お店にものが配置されるときに、パッケージが変わったり、値段が変わったり、値札がかわたりする動きの痕跡にものともの、ものと人の関係が痕跡として見えるのである。そして物も人も同じactorとして見る必要がある。
ではその痕跡はどのようにうみだされるのか。ここでANT理論は我々に認識の大きな変化を要求する。それは人と人との対面的な動きの痕跡(社交的スキルとも認識される)だけではなく、弱々しくしか認識されない社会的な関係をより強いものへと変える仕組みも存在しているという認識だ。つまり社会的関係はうつろいやすいので、より持続性をもつ堅牢な性格を持つものによわよわしい社会的関係性を置き換えている。それは社交的スキルだけでは生み出せないものである。そこにactorとしての「もの」が登場する。
関係性の社会学者は人間以外のActor、つまり釘を「打つとき」はハンマーに注目すべきだし、お湯を「沸かす」ときにはヤカンに、肉を「切る」ときはナイフに、食料品を「積み入れる」ときにはカゴに、など、動作を行うときには人間も道具もactorとして注目するべきなのだ。つまり動詞に注目する。だが、こうした当たり前の行動を記述することにどのような意味があるのであろうか。
ものは物理的な世界にあるとしてしまうと、人間が他の人間と関係するときにreflectiveでsymboicな関係が見えなくなる、とラトゥールは述べる。わかりにくいところろだが、人と人の関係に何らかの意味が生まれているときに、その関係に参加しているものの役割を考える必要がある、ということである。関係性に参画するという役割をラトゥールはparticipantsと呼ぶ。ものはparticipants(翻訳では参与子)となるのだ。participantとしてのものが社会関係を決定しているわけではない。そうであればものは中間項intermediariesである。そうではなくて、参与子として関係性構築に関与していくのである。ものがこのようなエージェンシーを持つということに関してはギブソンのアフォーダンスの概念を参考にする必要がある。
関係性においてものをactorとして観察して記録するとそこにみえてくるのは人と物がactorとして関係性を結びながら全体性を生み出している様子である。社会の特質がアクターの行動に表れているのでもなく、ものに社会的ヒエラルキーが「象徴」されており、社会的不平等が「強められており」、不平等を「具体的に目に見えるようにしており(objectify)、ジェンダーの関係を「物象化(reify)」していることがわかるのである。
さて、ここまでANT理論を読んできて、かなり本質的な問題にぶつかってくる。それはマーケティングではブランド論で語られてきた問題であり、デザインの社会的な役割についても議論される問題である。プロダクトやブランドロゴは人間のアクターAからアクターBに何かメッセージを伝える中間項ではなくて、関係異性に参与子として介入し、媒介項として、つまり何が起こるかわからない関係性を生み出していく。このダイナミズムに何らかの形で関与して痕跡を作っていく、という活動ができる。つまりもの、オブジェクト、の社会学がANTなのだ。もっと言うなら、これは僕の考えだがものをデザインする理論でもあるのだ。
この考え方は社会性の社会学とは全く考え方が違ってお互いがお互いを理解できない。これをラトゥールは科学哲学者クーンの有名な概念incommensurability(共約不可能)だと述べる。お互いがお互いを理解できないのだ。だが、人間社会とものの世界が共約不可能であるからこそ、社会関係を表現する仕組みとして使われてきたのである。ここはANT理論の根幹であり、理解が難しいところだ。次回に詳しくここを検討したい。
今回のまとめ:
組織マネージメントを考えるときに、ものをアクターとして考えることはあまり強調されていない。だが、会社のロゴやオフィスのデザイン、利用する道具など様々なものをつかって我々は社会をまとめ上げている(assemble)。それは社会の性質(階級があるとか女性の地位が低い)といったことをものが表しているのではなくてものと人間が両方ともactorとしてさまざまな関係性をこころみていて、その痕跡がもののなかに固定されて残されているので、社会をまとめ上げることに役立っているのだ。デザインとANT理論の結びつき、つまりデザインされたものは関係性に参与子としてかかわり、関係を媒介項として動かし、その痕跡をもののなかに固定する(つまり中間項となる)役割をもつ。この視点はANT理論の活用として非常に大切である。