アリストテレス倫理学を(ChatGPTをチューターにして)読む(3)
さて、これからChatGPTをチューターとしてアリストテレス倫理学を読んでいくわけであるが、サマリーとか内容のまとめをCatGPT に聞いていないだろうか?こうした古典はやはり一人で読むのは大変だ。どのように読むかは解釈の伝統がある。そのときに役に立つのはアナリゼという言葉である。
アナリゼはanalyzeであるが、意味はwebster 辞書によると、
: to study or determine the nature and relationship of the parts of (something) by analysis
である。全体を部分に分けて、それらがどのような関係にあるのかを見ることで、その活動を分析analysis という。ではanalysis とは何か?webster によると以下である。
: a detailed examination of anything complex in order to understand its nature or to determine its essential features : a thorough study
訳すと、
複雑なものに対する詳細な検討を通じて、その性質を理解したり、その本質的な特徴を決定したりすること:徹底的な研究
である。要するに解釈であり、いくらアリストテレスの文章を訳してもそのまま何を言っているのかを理解することは難しいし、時代によってどう解釈するかも違ってくる。哲学や文学をよむときに「あらすじ」を知りたがるが、あらすじやサマリーではその本が何を言っているのかはわからない。実際のオリジナルな文章を読めばわかるかというと、やっぱり時代も違えば思考の分野も違ったりすると、読んでもわからない。ここが大切で読んでわかるにはかなりの能力がいる。
どうしても優しく優しく文章を書き換えてしまう。長い間アリストテレスの英訳書が使い物にならなかったのも、またハイデガーなどの書物がとんでもない英訳になるのもここに問題があって、難しいテキストを適当に翻訳してはいけないのだ。ではどうするのか?ここに解釈の存在理由がある。どのようなことをこのテキストは言っているのかを徹底的に説明することだ。これを解釈という。
アリストテレスの最初のところをアナリゼしてもらった。次の文章をアナリゼしてくださいと言うと、しっかりと解釈をしてくれる。この文章はどんな意味ですか?くらいな気持ちでChatGPTに聞いてみる。非常に面白い返事がくるのである。以下ちょっと見てみたい。
まずは初めである。やりとりは英語なので、Reeveの本から引用してアナリゼをやってもらった。
Analyze: Every craft and every method of inquiry and likewise every action and deliberate choice seems to seek some good. That is why they correctly declare that the good is that which all seek.
翻訳: 「すべての工芸や探求方法、同様にすべての行動や意図的な選択は何らかの善を追求しているように見えます。それが、善が全ての人々が追求するものであると正しく宣言される理由です。
解釈
Aristotle's quote here presents the main argument of his ethical philosophy: the idea that all human actions and choices aim at some conception of the good. He uses the examples of crafts, methods of inquiry, actions, and deliberate choices to illustrate this idea.
Every craft: In a craft, the aim is to produce a good result. For example, a carpenter aims to build a sturdy, functional, and possibly aesthetically pleasing piece of furniture. This result is what the craft seeks and can be seen as its 'good'.
Every method of inquiry: Similarly, a method of inquiry, such as a scientific investigation, seeks the 'good' of knowledge or understanding. A biologist studying a cell, for example, aims to learn more about its structure and functions. This knowledge is the 'good' that the investigation seeks.
Every action and deliberate choice: When people take actions or make choices, they usually do so with some goal or benefit in mind, whether it's short-term (like eating when hungry) or long-term (like studying for a degree). This goal or benefit is the 'good' that the action or choice seeks.
In other words, according to Aristotle, all human activities aim at achieving something beneficial or desirable - a 'good'. That's why Aristotle claims that the good is that which all seek. However, he also makes it clear that not all goods are created equal: some goods are sought for their own sake, while others are sought as means to other ends. The highest good, according to Aristotle, is eudaimonia, which he understands as a flourishing, fulfilling, and virtuous life.
翻訳しておこう:
アリストテレスのこの引用は、彼の倫理哲学の主要な議論を提示しています:全ての人間の行動と選択は何らかの善の概念を目指しているという考えです。彼は工芸、探求方法、行動、意図的な選択といった例を用いてこの考えを説明しています。
すべての工芸:工芸においては、良い結果を生み出すことが目標です。例えば、大工は頑丈で機能的で、可能であれば美しい家具を作ることを目指します。この結果が工芸が求めている'善'であり、これがその'善'です。
すべての探求方法:同様に、科学的な調査などの探求方法は知識や理解という'善'を求めます。例えば、細胞を研究する生物学者はその構造や機能についてより多くを学びたいと目指しています。この知識が調査が求めている'善'です。
すべての行動と意図的な選択:人々が行動を起こしたり選択をしたりするとき、通常は何かの目標や利益を念頭に置いて行います。それが短期的なもの(例えば空腹時に食事をするなど)であったり長期的なもの(例えば学位を取得するために勉強するなど)であったりします。この目標や利益がその行動や選択が求める'善'です。
言い換えれば、アリストテレスによれば、全ての人間の活動は何か有益なものや望ましいもの-つまり'善'-を達成することを目指しています。それがアリストテレスが善は全ての人々が求めるものだと主張する理由です。しかし、彼はまた全ての善が等しく作られているわけではないことも明確にしています:一部の善はそれ自体が目的として求められ、他の善は他の目的への手段として求められます。アリストテレスによれば最高の善は、彼が理解するところの充実し、満足し、そして美徳ある生活であるユダイモニアです。
ここまでが第一巻第一章第1節の解釈である。では第2節に向かおう。
analyze: A certain difference, however, appears to exist among ends. For some are activities while others are works of some sort beyond the activities themselves. But wherever there are ends beyond the actions, in those cases, the works are many sorts of actions, in those cases, the works are naturally better than the activities. But wherever there are ends beyond the actions, in those cases, the works are naturally better than the activities. But since there are many sorts of actions and of crafts and sciences, their ends are many as well. For health is the end of medicine, a ship of shipbuilding, victory of generalship, and weatlh of household management.
翻訳をしておこう。
分析:しかし、目的の中にはある種の違いが存在するようです。なぜなら、一部は活動であり、他の一部は活動そのものを超えた何らかの作業です。しかし、行為を超えた目的が存在する場所では、その場合、作業は多種多様な行為であり、その場合、作業は自然と活動よりも優れています。しかし、行為を超えた目的が存在する場所では、その場合、作業は自然と活動よりも優れています。しかし、行為や工芸、科学の種類が多いため、その目的も多くあります。なぜなら、健康は医学の目的であり、船は造船の目的、勝利は将軍の目的、富は家政学の目的だからです。
そして第3節。これは第1章の最後の部分だ。
analyze: Some of these fall under some one capacity, however, as bridle making falls under hourseman ship, along with all the others that produce equipment for horsemanship, and the others that produce equipment for horsemanship, and as it and every action in warfare fall under generalship, and, in the same way, others fall under different ones. But in all such cases, the ends of the architectonic ones are more choice worthy than the ends under them, since these are pursued for the sake also of the former. It makes no difference, though, whether the ends of the actions are the activities themselves or some other things beyond them, just as in the sciences we have mentioned.
分析:これらの一部は、一部の能力の下に分類されます。例えば、馬具作りは馬術の下に分類され、馬術用具を作るすべてのものも同様です。また、戦争のすべての行動は戦術の下に分類され、同様に他のものも異なる能力の下に分類されます。しかし、すべてのケースにおいて、建築的なものの目的は、それらの下の目的よりもより選択に値する、なぜならそれらは前者のためにも追求されるからです。しかし、行動の目的が活動そのものであるか、それを超える他のものであるかは問題ではない、ちょうど私たちが先に述べた科学のように。
解釈は以上である。これを踏まえて、ChatGPTに質問をしてもらうことにする。
きちんと理解できているかを確認する質問をしてくれとChatGPTに頼んでみた。すると以下の答えが返ってきた。
Sure, I can certainly do that. Here are some questions that may help assess Naohito's comprehension:
According to Aristotle, what is the common goal that all human activities aim for?
How does Aristotle differentiate between different types of 'ends' or 'goods'?
Can you provide an example of an 'end' in one of the crafts or sciences, as Aristotle describes?
What does Aristotle mean when he says some ends "fall under" other ones?
Can you explain Aristotle's concept of "architectonic" ends? How do they relate to other ends?
Aristotle mentions that the 'goods' or 'ends' of activities can be the activities themselves or something beyond them. Can you give examples of each?
What is the significance of the 'good' being what all actions and choices seek, according to Aristotle? How does it fit into his broader ethical philosophy?
In Aristotle's view, are all 'goods' or 'ends' equally valuable? Why or why not?
How does the concept of 'eudaimonia' fit into this discussion of 'goods' and 'ends'?
How does this section of the text lay the groundwork for Aristotle's later discussions of virtue and moral character?
翻訳しておこう。
アリストテレスによれば、すべての人間の活動が目指す共通の目標は何ですか?
アリストテレスはどのようにして異なる種類の「結果」または「善」を区別していますか?
アリストテレスが述べているように、工芸や科学の「結果」の例を提供していただけますか?
アリストテレスが言うには、一部の「結果」が他のものの「下に位置する」意味するのは何ですか?
「建築的な」結果というアリストテレスの概念を説明できますか?それらは他の結果とどのように関連していますか?
アリストテレスは、活動の「善」または「結果」が活動そのものであったり、それを超えた何かであったりすることに言及しています。それぞれの例を挙げていただけますか?
アリストテレスによれば、すべての行動と選択が求める「善」の意義は何ですか?それは彼の広範な倫理哲学にどのように適合しますか?
アリストテレスの視点では、すべての「善」または「結果」が等しく価値があると言えますか? なぜまたはなぜないのですか?
「幸福(eudaimonia)」の概念は、「善」や「結果」のこの議論にどのように組み込まれていますか?
このテキストのセクションは、アリストテレスの後の美徳と道徳的性格に関する議論の基礎をどのように築いていますか?
このテキストのセクションは、アリストテレスの後の美徳と道徳的性格に関する議論の基礎をどのように築いていますか?
なかなかいい質問である。では次回から、これらの質問に順番に答えていきたい。
(完)