ラトゥール『社会的なものを組み直す』をわかるまで読む
第9回
さて、ANT理論を勉強するときに混乱する第二のポイント、行為(アクション)は複数のエージェンシーが媒介項で連結されたなかで行われる、の結論である。ここまでアクター(アクタン)、エージェント、エージェンシーという言葉について勉強してきた。アクターが連携(ネットワーク)して、集団を生み出していく動き(相関 association)を研究するべきであって、その動きの痕跡しか我々は見ることができない。それを実体と思ってはいけない、というのだ第1のポイントであった。連携するのはアクターだけではなくてエージェンシーもである。これが第二のポイントとなる。
エージェンシーとはアクションを生み出す(現状を変えていく)力のことである。ある行為があるエージェンシーと中間項 intermediariesでつながっていれば、エージェンシーが原因となってアクションが結果となる。だが媒介項 mediator でつながるとそうではない。予測不可能なことがいろいろおこる。原因から結果を演繹することはできない。ANTではある行為を生み出す活動に関係しているエージェンシーを媒介項を介して記述するという方法をとる。可能な限りの多くの原因をアクターの連携とあわせて記録していく。
ここの理解はactorがものでもあるということを忘れると非常に難しい。ラトゥールはここの説明に操り人形遣いの例を挙げる。人形遣いは人形を操っているが、「操り人形が、思いもよらない動き方を教えてくれる」という言い方もすると言う。操る manipulateのラテン語には手を意味するmanusが入っており、manipulateの意味は 手で物理的にものを取り扱う技術(skill in physically handling objects by hand)である。つまりアクションは複数のエージェンシーの連結のなかに分散しており、アクターも他のアクターと集合したり離散したりしている。この状態を記録することが大切なのだ。ものである人形は操られるだけではなくて、物理的物体として動く。その動きが人形遣いに新しい動きを生み出す、というわけだ。
ここでラトゥールは注でこの考えを説明していくが、僕が教えているデザイン思考では「濃い記述」がここに相当する。人も物もアクターとしてあつかって記述分析を続ける。これはギアーツの解釈学的民族誌の方法であり、さらにはインタラクションの民族誌の基本でもある。ラトゥールがあげる3冊の本は、デザイン思考の方法を考えるときに基本書なので、ここで紹介しておく。分散認知の民族誌と言われている。
Edwin Hutchins(1995) Cognition in the Wild
Jean Lave(1988) Cognition in Practice: Mind, Mathematics and Culture in Everyday Life
Lucy Suchman(1987) Plans and Situated Actions
この3冊は今後のANT理論の展開においても基本となる。上記のうちCognition in the Wild 以外の2冊は翻訳されているが、現在はこの2冊は加筆改訂されている。いずれも名著であり、しっかりとした理解が必要だと考える。
もう一つ大切な方向は現象学だ。アクターを複数かんがえて、そのネットワークを動かすエージェンシーは分散された状態で存在している(つまり複数のエージェンシーが媒介子で連結されている)という視点は現象学が持ち込んだものであるが、現象学にはものという視点がまだない。ハイデガーは「道具」である。また批判社会学も、エージェンシーとして、人や、意図、感情、対面といった要素をだしてきているが、これもまたものは存在しておらず、こうしたエージェンシーがあれば自動的にアクションが決まってくるとしている。
では今後どのように研究を進めていけば良いのか。ラトゥールは次の4つの方法でANTの報告(民族誌)はかれるべきだとする。
1)どのようなエージェンシーが引き合いにだされているか
2)どんな形象figureがそのエージェンシーに与ええられているか
3)エージェンシーはどのようなアクションに関わっているのか
4)議論しているのは中間項によるエージェンシー連結(意味がない)なのか媒介項によるエージェンシー連結(意味がある)のか
この視点でたとえば組織マネージメントの民族誌を記録することがANT理論を構築するためには必要となってくるのである。
(続く)