書活264日目*「べき、ねば」思考は、どこからくるの?
「本土の人は、『しなければならない』とか、『こうあるべきだ』という思考になるの?」
これは、沖縄出身の方から質問されたことです。
それについて考えようと思います。
ちなみに、私は『べき、ねば』思考の傾向が強いほうです。
私は東京で生まれ、ややもしないうちに埼玉へ引っ越しました。埼玉県浦和市(現在のさいたま市)、幼少期をそこで過ごしています。もうすでに記憶が薄れてきているので、確証はありませんが、かなり自由な幼児期を過ごしています。
友だちの家の中、マットレスを持ってきて階段を滑り台に見立てて遊んだことがあります。その家のお兄さんが率先して下の子どもたちを楽しませてくれたエピソードの一つ。
それについて親は誰一人、咎めることなくただ
「怪我だけには注意しなよ〜」とお兄さんに言っただけだそうで、かなりのヤンチャをしたものです。
通っていた幼稚園も子どもたちのやりたいことを率先してやらせる園だったこともあり、とにかく「自由に、のびのびと」の思考の大人たちが周りにいた気がします。
ただ、その反面に私の母は『べき、ねば』傾向の強い人でした。彼女は東京出身。その上の祖父母の出身、祖父が埼玉県岩槻市(現在のさいたま市)、祖母は岩手県北上市(だったと記憶してます)
祖父がとにかく行儀に厳しい人だったと聞きます。私が生まれる数ヶ月前に他界しているため、母や伯母たちから聞いた話によりますが、厳しいがゆえに娘たちからは煙たがられる存在でもあったようです。
その中で私の母とは、ウマがあったのでしょう。祖父の考えを大変にリスペクトしています。そんな彼は、岩槻城に仕えていた武士の家系だったようです。
残念ながら祖父が幼い頃になんやかんやあって、没落したとかなんとか(もうこの辺の話は曖昧)曽祖母とは縁が薄く、乳母の元で育ってるそう。
そのあとがよくわからないので、祖父がその後どこで育ってるのかが不明。話によると浅草という地名も出てきますが、地域が関係してるとは言い難いのです。
祖父が『べき、ねば』を発動する時は、子どもに関する時だけだったとも聞きます。曽祖母と縁薄く、曽祖父との関係も定かでないので、親子の縁があったかどうかがわからないようです。(現に乳母のもとで育ってるため、実両親との関係は薄いと思われます)
なので家族、特に子どもについては、守らなければならない存在として、祖父は祖母に「子どもにはこうするべきだ」と言っていた様子です。
さらに祖母もよりその傾向が強く、子供のいる前では、晩酌程度のお酒は出すが酔いつぶれるべきではない、博打なんてとんでもない。子どもに悪影響を及ぼす行為はするべきではない。と考えていたとか。
そんな彼女は、岩手の大工の娘。行儀奉公に出された先で、大変厳しく育てられたようですが、大自然の中で遊び回っていたところもあるためか、おおらかな一面もありました。
「なるようにしか、ならない」と「べき、ねば」の両面を兼ね備えた人でもありました。
確かに育った環境は、関わってくるかもしれません。しかしそれは、地域か家庭環境なのかが定かではないですね。
もう少し考察したいので父方の生い立ちをと思いましたが、あまり知らないことが発覚しました。
ということで、父にわかるところまで聞きに行くとして本日はここまでといたします。
みなさんは、
「本土の人は、『しなければならない』とか、『こうあるべきだ』という思考になるの?」についていかがお考えでしょうか?
今のところ、土地柄と家柄の半々だと私は思っています。