40日目*許さない自由を手に入れるための運動。
朝の夫婦の会話で、昔の彼のやらかしを自虐してきた夫。やらかしだなんて、柔らかい表現ではない。はらわたが煮えくりかえる、まさにそんな状況のやらかしだ。
娘はそれを聞き寂しそうな顔をして、話題から目を逸らすように、口角をあげた。私はそれを見逃さなかった。
現在。小学6年生の娘。
幼少期にそれはそれはたくさんの気持ちをアートにぶつけてきた。家族を描くと母と自分が中心。父は、いるのかいないのか「そういえばいたな」感、満載に描いていた。
そんな彼女、ある日「これはパパだ!」とA4用紙いっぱいに父の顔を描き、丁寧に「パパ」と覚えたてのカタカナを書いていた。
安価ではあるが、額縁に入れてリビングの壁に飾っておいた。数年後のある日、それが消えていた。所在を尋ねると、捨てたという。
私は激昂した。
彼の言い分は、こんな感じ。
・娘が書道で金賞を取ったということで賞状を持ってきた。嬉しくて飾らなくては、と思ったそうだ。
・娘が描いた絵はたくさんあるし、まあいいか。
だったと記憶する。
我が実家は、絵を大切にする。絵というものが、書いた人物の「時間」が閉じ込められていて、2度と同じ絵を描くことはできない。子どもの絵は特にそうだから大切にしている。そんな両親の想いを私は受け継いでいる。
アート作品に関しては、汚されることが嫌なのだ。それをあろうことが、廃棄したということ。思い出というものをいとも簡単に手放すのかと信じられない思いだった。
だから私は「許さない、許すための行動はしない。この話題も私からはしません」宣言をし、抜いた刀を一応の形で収めていたのだ。
我が家最大の事件を彼は、ポロリと言った。
再び、怒りが湧き出てくる。早口で捲し立てた。
「いつまでもネチネチ…」ネチネチ?私がいつネチネチ言ったのか?ネチネチとは、事あるごとに舐るように相手を虐めるときに使う言葉ではないのか!?
ちなみに「いつまでもネチネチ…」は、私が夫に言う言葉でもある。だから同じだと捉えられたのが許せなかった。
最低限の言葉を交わし、犬と共に散歩に出た。
思考。まずは、当時の自分の気持ちを言葉にし思い出す。
この怒りは断然、悲しみだ。娘の大事な瞬間をいとも簡単に捨てられたこと、それに数日間気づけなかった自分。燃えるゴミの日が何回か過ぎていた。救済できなかった、そんな類の悲しみ。
次に寂しさ。描いたときの物語がある。父と娘で初めて、一日中遊びに出かけた日。嬉しそうな顔をして帰ってきたこと。その日、どんなことがあったかを話しながら描いてくれたこと。何よりもパパを中心に描いた初めての作品。それが、私の言葉だけで伝えきれなかったこと、共有できてなかったこと。
娘の作品がここに確かにあった。
その気持ちを表現するには「許さない」と思う気持ちを手放さないことじゃないかに至った。
もちろん、他の最善策が絶対にあるとは思うが、見つからなかった。
そして現在、わたしはまだ許せないのだ。散歩から帰ったあと、整理した頭で彼に伝える。
「許す行為が推奨されるけど、許さない自由だってあってもいいじゃないか。だから許す許さないは私が決める!以上終わり!」
彼に事あるごとに謝ってほしいというわけではない。やってしまったことは仕方がない。ただ、娘がまだ言葉で表現できない複雑な感情を持っているのだとすれば、私はこの自由を宣言する。
だからと言って、その人自身全てを否定するのではない。ただ、許さないと言うことが悪だという風潮だけに問題提起しているだけ。
彼は、私の権利主張を快く受け入れてくれた。理解者が増えたことに感謝している。